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スロベニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/27 21:14 UTC 版)

スロベニア共和国(スロベニアきょうわこく)、通称スロベニアは、中欧共和制国家。首都はリュブリャナ。1991年にユーゴスラビアから独立した。西にイタリア、南と東にクロアチア、北東にハンガリー、北にオーストリアと接する。南西でアドリア海に面している。

スロベニアはイタリアやオーストリアに隣接しており、冷戦中にあっては西側諸国に近いという地理的条件にあった。スロベニア人の気質は勤勉で秩序的と言われており、文化的にはドイツ語圏の影響を強く受けている。こうした条件のために、ユーゴスラビア連邦時代は連邦の中で最も経済的に豊かな先進地域となっていた。ユーゴスラビア連邦から独立した後、初期の経済的混乱からすぐに立ち直り、国民1人当たりのGDP欧州連合(EU)内でもギリシャポルトガルに匹敵する水準となった。これは、2004年にEUに加盟した旧社会主義諸国の中では最も高い水準であり、2008年には旧社会主義諸国で初めて欧州連合の議長国となった。政治的な面でも、スロベニアは民主的な政体を安定して維持しており、その地理的・経済的特徴が良い影響を与えているとみられる。

目次

国名

正式名称は、スロベニア語で「Republika Slovenija」(レプブリカ・スロヴェニヤ)。通称は、「Slovenija」。

公式の英語表記は、「Republic of Slovenia」(リパブリック・オブ・スロヴィニア)。通称、「Slovenia」。

外務省による日本語の公式表記は、「スロベニア共和国」。通称、「スロベニア」。ただし在日大使館の公式サイトでは「スロヴェニア共和国」表記である。

スロベニアの語源は「スラヴ(Slav)」であるという説がある。これはスロバキアと同様であり、両者の国名が酷似している理由とされることもあるが、スロベニアとしての公式的な見解ではない。現在、スロベニアの語源については諸説あり、定説というものはない。また、たとえ語源が slav であったとしても、その slav が中世英語で「奴隷」を意味した sclave に由来しているとは限らず、古スラブ語で「栄光」や「名声」を意味する sláva 、あるいは「言葉」や「会話」を意味する slovo に由来しているのかもしれない[1][2]

ただし、少なくとも9世紀頃のスラブ民族が自らをスロヴェーネ(slověne - 同じ言葉を話す=意思疎通が出来る人々)と呼んでいたことは事実である[3]。現在、英語でスロベニア人に対する総称(デモニム)は Slovenian と Slovene であるが、後者は上述の slověne に由来する。

歴史

中世・近世

6世紀ごろに南スラヴ人が定着する。7世紀には初の南スラヴ系のカランタン人による国家であるカランタニア公国が成立する。カランタニアはその後、バイエルン人、ついでフランク王国の支配下にはいる。 この地域はその後もフランクの遺領として扱われ、14世紀以降、東フランク王国、すなわち後の神聖ローマ帝国に編入された。そのために、同様に神聖ローマ帝国領となった現在のチェコともども西方文化とカトリック教会の影響を強く受け、他の南スラヴ人地域と異なった歴史的性格をスロベニアにもたらすことになる。

15世紀にはハプスブルク家の所領となり、以降オーストリア大公領、1867年オーストリア・ハンガリー帝国が成立するとオーストリア帝国領となった。

19世紀初頭、ナポレオンフランス帝国による支配を受ける。リュブリャナはフランス第一帝政イリュリア州の首都だった。フランス統治下ではイリュリア州が設置され、スロベニア語が州の公用語のひとつとなった。1809年から1813年の間、リュブリャナはフランス第一帝政イリュリア州の首都だった。これは、スロベニア語が公的地位を得た初めてのことであり、文語としてのスロベニア語の発展は勢いづいた。ナポレオンが去ると、ウィーン会議で締結された議定書によって再びオーストリア領となった。

近代

その後1918年第一次世界大戦が終了しオーストリア・ハンガリー帝国が解体されると、セルビア王国の主張する「南スラヴ人連合王国構想」に参加。セルビア・クロアチア・スロベニア王国の成立に加わった。この際スロベニアの一部地域ではオーストリアとの経済的・文化的な結びつきが強かったため、住民投票が行われ、オーストリアに帰属するか、スロベニア(セルビア・クロアチア・スロベニア王国)に帰属するかを住民投票で決めた地域が存在する。この王国は、1929年ユーゴスラビア王国に改称した。

1941年にユーゴスラビアに枢軸国侵入すると、スロベニアはナチス・ドイツの占領下に置かれた。西に接するイタリア王国はスロベニア沿岸地方を自国の領土と考えていたため、ベニート・ムッソリーニ指揮下のイタリア軍によって首都リュブリャナを占領され、北東の一部の地域はハンガリーの占領下となり、スロベニア人の住む地域は3つの勢力によって分断された。占領に反対した右派ナショナリストたちはロンドンに逃れたユーゴスラビア王国亡命政府を支持したが、後に枢軸陣営に加わった。他方、共産主義者たちはヨシップ・ブロズ・ティトーパルチザンに加わり、ドイツ軍などと戦った。

パルチザンはスロベニアを含むユーゴスラビア全土を武力でドイツ軍から解放した。大戦前はイタリア領とされていたイストリア半島 (イストラ半島)はユーゴスラビア領となり、スロベニアはコペル周辺で海岸線を手に入れることとなった。また、スロベニア人が多く住むオーストリアのケルンテン州の一部も求めたが、この要求は認められなかった。

社会主義時代

1945年社会主義体制となったユーゴスラビアに復帰し、ユーゴスラビアの構成国スロベニア人民共和国となる。ユーゴスラビアでは戦後一貫して政治・経済の分権化が進められていた。社会主義のユーゴスラビアは、ソビエト連邦の影響下に置かれた東側諸国とは異なる独自の路線をとっていた。政治の分権化と自主管理社会主義はその典型例であり、政治においては連邦から共和国、そして自治体へと権限が移管され、経済でも末端の職場に大きな権限が与えられていた。そのためそれぞれの地域では、その地域性を生かした独自の経済政策を採ることが可能であった。また、ユーゴスラビアがソビエト連邦と距離をおき、西側諸国との友好関係を維持していたこともスロベニアには有利に働いた。中央の意向に縛られることなく、西側諸国に隣接する先進的工業地帯というスロベニアの利点を最大限に発揮できたため、スロベニア経済は大きく発展し、1980年代になると他のユーゴスラビア内の諸地域に大きく差をつけるようになっていた。

政治に関しては、ユーゴスラビアでは比較的言論の自由が認められており、またその地方分権政策によってスロベニアをはじめ各共和国は大きな裁量を手にしていた。スロベニアでは、更なる独自の権限を求める声、連邦からの独立を求める声は次第に高まっていった。1980年代にユーゴスラビアが経済苦境に陥ると、スロベニアではその原因が連邦にあると考えた。連邦は通貨発行など一部の経済政策のみを握っていたが、経済改革を進めるために過度に分権化した経済政策の集権化を求めていた。また経済先進地域であるスロベニアが連邦に支払う負担金が、コソボマケドニアなどの貧しい地域のために使われているという不満から、スロベニア共和国は連邦政府の経済改革を妨害し、連邦に対して支払う負担金を一方的に削減し、連邦に対する反発をあらわにしていった。

さらに、セルビアではユーゴスラビア連邦におけるセルビア人の支配力拡大を狙うセルビア民族主義者のスロボダン・ミロシェヴィッチが台頭し、ミロシェヴィッチはモンテネグロヴォイヴォディナ、コソボの政府を乗っ取って支配力を強め、スロベニアに対しても圧力を強めていた。

こうしたことによって、スロベニアは連邦からの離脱を決意した。連邦からの離脱権を明記した新しい共和国憲法を制定すると、議会での決定と住民投票を経て、1991年6月にユーゴスラビアとの連邦解消とスロベニアの独立を宣言した。

独立後

短期的、小規模な十日間戦争を経て、スロベニアは完全独立を果たした。1992年5月、連邦構成国だった隣国クロアチア、同じく連邦内にあったボスニア・ヘルツェゴビナと同時に国際連合に加盟した。同時期に連邦を離脱したクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナでは激しい内戦が続いた中、スロベニアではユーゴスラビアという市場を失ったこともあり、1991年から1992年にかけて経済不振が続いたものの、その後はヨーロッパ志向を強め、経済は回復に向かった。政治面においては、ユーゴスラビア離脱前から民主的な制度の整備が強力に進められてきたこともあり、他のどの旧ユーゴスラビア諸国よりも早く、民主的体制が整えられていった。2004年3月にはNATOに、同年5月1日欧州連合(EU)に加盟した。2008年には、2004年に新規加盟した国々の中で初めて欧州連合の議長国を務め、同年2月にコソボが独立を宣言したことによる一連の危機の対応にあたるなど、議長国として欧州連合の中で指導力を発揮した。

政治

独立後の政治

ユーゴスラビア末期の壊滅的な経済苦境、そして台頭するセルビア民族主義への反発から、スロベニアはユーゴスラビアからの独立を志向するようになった。1989年9月にはユーゴスラビア連邦から合法的に離脱する権利を記したスロベニア共和国憲法の改正案が共和国議会を通過する。1990年4月、第二次世界大戦後初の自由選挙を実施。共産党政権は過半数の票を集めることができず、野党連合のデモスが勝利した。首相には第三党のスロベニアキリスト教民主党のロイゼ・ペテルレ党首が選ばれている。同時に、共産党の改革派だったミラン・クーチャンが大統領となった。

1991年6月に独立を発表すると、スロベニア国内に基地を置いていたユーゴスラビア連邦軍と戦闘状態に入るが、7月には停戦に成功、同年10月には連邦側が独立を認めた。12月23日には現在の憲法が有効となり、複数政党制と大統領制が確立する。

1992年12月には独立後、第1回となる大統領選挙を実施、ミラン・クーチャンが選ばれた。同氏は1997年11月にも再選されている。2000年10月の総選挙では自由民主主義党が第1党となったため、連立政権が発足した。2002年12月の大統領選挙ではヤネス・ドルノウシェク首相が当選した。2007年12月、リュブリャナ大学法学部副学部長のダニロ・テュルクが大統領に就任した。

政治制度

国家元首の大統領は任期5年で、国民の直接選挙によって選出される。行政府の長である首相は議会の下院が総選挙後に選出し、大統領によって任命される。

立法府は両院制をとっている。下院(国民議会)は定数90で、うち40議席を小選挙区で、残る50議席を比例代表で選出する(小選挙区比例代表併用制)。任期は4年。上院(国民評議会)は定数40で、各種団体による間接選挙で選出される。任期は5年。上院の立法権限は下院よりも弱く、諮問機関としての性格が強いが、国民投票を行うか否かの決断を下す権限を有する。

有力な政党はスロベニア自由民主党、スロベニア人民党、スロベニア社会民主党、スロベニアキリスト教民主党である。

2011年12月4日、国民議会(下院、定数90)選挙が行われた。暫定集計(開票率約99%)によると、中道左派の新党「積極的なスロベニア」が28議席を獲得し第1党になった。中道左派の与党・社会民主党は10議席にとどまった。中道右派の野党・スロベニア民主党が得票率約26%で2位。今後、連立政権樹立に向けて交渉が始まる。[4][5]

政治問題

スロベニアはユーゴスラビア時代から経済的な先進地域であり、ユーゴスラビア紛争が収束する中でセルビア人、クロアチア人労働者を受け入れてきた。しかし、EUではEU内の労働者の移動、就労は自由化されるが、一方でEU外の労働者の受け入れは厳しく制限される。そのため、2004年のEU加盟に前後してセルビア人労働者を制限する方向に転換しており大きな政治焦点になっている。




スロベニア共和国
Republika Slovenija
スロベニアの国旗 スロベニアの国章
国旗 国章
国の標語: なし
国歌: 祝杯
スロベニアの位置
公用語 スロベニア語
首都 リュブリャナ
最大の都市 リュブリャナ
政府
大統領 ダニロ・テュルク
首相 ボルト・パホル
面積
総計 20,273km2150位
水面積率 0.6%
人口
総計(2008年 2,029,000人(142位
人口密度 100人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 371億[1]ユーロ (€)
GDPMER
合計(2008年 546億[1]ドル(62位
GDPPPP
合計(2008年 593億[1]ドル(79位
1人あたり 29,472[1]ドル
独立
宣言 1991年6月25日
承認 1992年
通貨 ユーロ (€)(EUR[2][3]
時間帯 UTC +1(DST: なし)
ISO 3166-1 SI / SVN
ccTLD .si
国際電話番号 386
  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ 2006年までの通貨はトラール(SIT)。
  3. ^ スロベニアのユーロ硬貨も参照。
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