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モンテネグロ

モンテネグロ
Montenegro
モンテネグロは以前独立した王国であったが、現在はセルビア・モンテネグロ連邦
旧ユーゴスラビア)の一部である。
通貨単位:ペルパー/パラ
Perper / Para
100 パラ = 1 ペルパー
マップ
10 パラ (1906)


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モンテネグロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/26 08:25 UTC 版)

モンテネグロは、ヨーロッパ南東部、バルカン半島に位置するセルビア・モンテネグロを構成する2つの共和国のうちのひとつであったが、2006年6月3日に独立を宣言した。

モンテネグロ政府公式ウェブサイトでは首都は行政機関所在地であるポドゴリツァ(旧称チトーグラード)とされるが、モンテネグロ憲法によると首都はツェティニェである。

目次

国名

自国では「黒い山」を意味するツルナ・ゴーラЦрна ГораCrna Gora)と呼ぶ。モンテネグロ(Montenegro)とはヴェネツィア語による名称で、意味は同じく「黒い山」である。

公式の英語表記は、Montenegro

日本語での表記はモンテネグロ。漢字による当て字は黒山。2007年10月の新憲法制定に伴い、それまでのモンテネグロ共和国Република Црна ГораRepublika Crna Gora)から共和国が外された。

歴史

言語的、文化的にはセルビア人との違いはほとんどない。宗教も同じ正教会だが、セルビアで主流のセルビア正教会の他に、マケドニア正教会とセルビア正教会に併合されたモンテネグロ正教会も復活して存在する。1990年代後半から経済的・政治的利害の相違、セルビア人中心の国家運営に対する不満などから独立運動が盛んになり、自分をセルビア人とは別個のモンテネグロ人と考える人が増えつつある。これには、古代モンテネグロ人の祖先が、南スラヴ人とは別個のイリュリア人だった可能性も背景にある。

1516年にツェティニェ家による神政政治が確立した。これがモンテネグロが独自に持った最初の国家形態である。ツェティニェ家はその神政政治という性格から叔父から甥へと主教座が継承され、オスマン帝国スルタンに朝貢を続けながら国家を存続させた。ツェティニェ家は1852年に世俗的な公へと転化し、モンテネグロ公国が成立した。これを契機として宗主国オスマンとの武力衝突に発展し、ロシア帝国の支援を仰ぐことになった。

1878年露土戦争の講和条約であるサン・ステファノ条約ベルリン条約でオスマン帝国からの完全な独立を承認された。1905年に憲法が制定されて、モンテネグロ公はモンテネグロ王と規定しなおされ、国号はモンテネグロ王国になった。公国および王国の初代君主ニコラ1世で、1918年までその地位にあった。北をオーストリア・ハンガリー帝国、南をオスマン帝国に挟まれる地政学的条件を背景として、モンテネグロはロシアとの協調を対外関係の機軸とした[1]

第一次世界大戦では、セルビアに対していくらかの援助を行った。このためモンテネグロはオーストリア・ハンガリー帝国に占領されることになり、ニコラ1世はフランスへと亡命した。その後モンテネグロはセルビア軍によって占領され、1918年に成立したセルビア・クロアチア・スロベニア王国(のちユーゴスラビア王国)に取り込まれた。以後はユーゴスラビアの中の一地域となった。ニコラ1世とその子孫はモンテネグロ王位を請求し続けたが、実らなかった。

第二次世界大戦でユーゴスラビアはイタリアとドイツによる侵攻を受け、分割された(ユーゴスラビア侵攻)。モンテネグロはイタリアの占領下に置かれ、傀儡国家モンテネグロ王国の統治下に置かれた。しかしパルチザンの抵抗の結果、1944年に枢軸軍は撤退し、モンテネグロは再びユーゴスラビアに復帰した。建設されたユーゴスラビア社会主義連邦共和国においては連邦を構成する6つの共和国の一つモンテネグロ人民共和国、1963年からはモンテネグロ社会主義共和国として存続した。

1991年から始まったユーゴスラビア紛争においてもモンテネグロ共和国セルビアと歩調を合わせており、最後までユーゴスラビア連邦共和国から離脱しなかった。1997年の選挙でミロ・ジュカノヴィッチが大統領に就任した頃から、分離独立の示唆が行われて来ていた。1999年コソボ紛争でもセルビアの行動を非難し、アルバニア難民の受け入れに努めた。コソボ紛争後、通貨や関税に関してセルビアから独立し、徐々に独立の動きが強まっていった。

これに対して欧州連合はモンテネグロの独立がヨーロッパ地域の安定に必ずしも好影響を及ぼさないという立場から、モンテネグロとセルビアの仲介に動き出した。こうした欧州連合の努力により、2003年2月には3年後の2006年以降に分離独立の賛否を決める国民投票を実施できるという条件付きで国家連合セルビア・モンテネグロが成立した。新国家はセルビア・モンテネグロ内で圧倒的にマイノリティーであるモンテネグロに対してセルビアとの間に最大限の平等を保障していたが、それでもモンテネグロは共同国家の運営に対して非協力的であり、モンテネグロ独自の外交機関、軍事指揮系統を有していた。このため連邦国家としてのセルビア・モンテネグロはほぼ有名無実の状態になっていた。

2006年5月21日に、セルビアからの分離独立の可否を問う国民投票が実施された。欧州連合は、セルビア・モンテネグロでなければ欧州連合への加盟を認めないという立場を取っていたが、投票の直前には「50%以上の投票率と55%以上の賛成」というハードルに切り替えた。一方で独立支持派は「モンテネグロの独立こそが欧州連合加盟への早道」であるとするキャンペーンを展開した。投票の結果、投票率86.5%、賛成55.5%で欧州連合の示した条件をクリアした。

2006年6月3日夜(日本時間4日未明)に独立賛成派が国民投票の結果に基づき独立を宣言した。6月5日にはセルビアもセルビア・モンテネグロの継承を宣言して、モンテネグロの独立を追認した。6月12日には欧州連合がモンテネグロに対する国家承認を行った。これにより国際的にモンテネグロの独立が認められた。両国の独立により6つの共和国から構成されていたユーゴスラビア社会主義連邦共和国は完全に解体した。6月16日に日本が国家承認[2]6月28日国際連合へ加盟した。

大統領フィリップ・ヴヤノヴィッチ、現首相イゴル・ルクシッチ

2007年10月に新憲法を制定し、国名をモンテネグロ共和国からモンテネグロに変更した。

政治

モンテネグロは共和制議院内閣制を採用する立憲国家である。ユーゴスラビア時代の1992年10月12日に公布された憲法では、モンテネグロを「民主的な主権国家」と規定している。だが2006年6月3日の独立宣言を受け、2007年10月に新憲法を制定。

大統領

国家元首である大統領は国民による直接選挙で選出され、任期は5年、3選は禁止されている。議院内閣制をとるモンテネグロでは、大統領には以下の様な象徴的・儀礼的な役割しか与えられておらず、政治的実権は持っていない。

内閣

行政府首相を頂点とする内閣である。首相の任命手続きは、大統領の推薦を受け、議会が承認することとなっている。だが、実際には総選挙後の第一党勢力の指導者が、首相に就任するのが慣例となっている。閣僚は首相が指名するが、議会の承認が必要。議院内閣制をとるモンテネグロでは、内閣は大統領ではなく議会に責任を負い、国家における最高行政機関となっている。

議会

立法府であるモンテネグロ議会は一院制。定数は81議席。議員は国民の直接選挙で選出され、任期は4年である。議会には以下のような権限が与えられている。

  • 法案を審議し、可決・否決の判断を下す。
  • 大統領の推薦に基づき、首相を選出。
  • 首相に指名に基づき、閣僚を承認。
  • 条約批准
  • 全ての裁判官の任命。
  • 国家予算の決定。
  • 内閣不信任決議

モンテネグロは複数政党制が機能している。主要政党には左派のモンテネグロ民主社会党 (DPS) やモンテネグロ社会民主党 (SDP)、右派のモンテネグロ社会人民党 (SNP) や人民党 (NP)、セルビア人勢力のセルビア民主党 (SNS) などがある。

2009年3月29日、議会(81議席)選挙が行われ、与党連合「欧州のモンテネグロ」が47議席前後を獲得した。

裁判所

司法府は行政府、立法府から独立しており、三権分立が保障されている。憲法問題を扱う憲法裁判所が最高司法機関だが、通常裁判所の最高位は最高裁判所である。全ての裁判官は、議会によって任命される。




モンテネグロ
Црна Гора
Crna Gora
モンテネグロの国旗 モンテネグロの国章
国旗 国章
国の標語: なし
国歌: 五月の夜明け
モンテネグロの位置
公用語 モンテネグロ語[1]
首都 ポドゴリツァ
(憲法上の首都はツェティニェ
最大の都市 ポドゴリツァ
政府
大統領 フィリップ・ヴヤノヴィッチ
首相 イゴル・ルクシッチ
面積
総計 13,812km2155位
水面積率 極僅か
人口
総計(2008年 624,000人(165位
人口密度 48.7人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 32億[2]ユーロ (€)
GDPMER
合計(2008年 48億[2]ドル(142位
GDPPPP
合計(2008年 69億[2]ドル(139位
1人あたり 11,091[2]ドル
独立宣言 2006年6月3日
通貨 ユーロ (€)(EUR
時間帯 UTC +1(DST: +2)
ISO 3166-1 ME / MNE
ccTLD .me
国際電話番号 382
  1. ^ モンテネグロ語は、イェ方言セルビア語と見なされている。2007年の憲法改正以降、モンテネグロ語が第一公用語とされた。その他に4つの言語(アルバニア語セルビア語ボスニア語クロアチア語)が公用語に指定されている。
  2. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年7月19日閲覧([1]
[ヘルプ]
  1. ^ モンテネグロは日露戦争に際してロシアに続き、日本に宣戦布告したとの説がある[要出典]。これについて日本政府は、2006年に提出された衆議院議員鈴木宗男の質問主意書に対する答弁書において「千九百四年にモンテネグロ国が我が国に対して宣戦を布告したことを示す根拠があるとは承知していない。」としており、モンテネグロと日本が国際法の上で戦争状態になったことはないと認識している。
  2. ^ Wikisource-logo.svg 2006年(平成18年)6月28日外務省告示第372号: モンテネグロ共和国の承認の件 - ウィキソース


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