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モーリタニア [Mauritania]
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モーリタニア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/08/07 06:47 UTC 版)
- モーリタニア・イスラム共和国
- الجمهورية الإسلامية الموريتانية
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(国旗) (国章) - 国の標語: Honneur, Fraternité, Justice
(フランス語: 名誉、友愛、正義) - 国歌: モーリタニアの国歌

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公用語 アラビア語、フランス語(事実上) 首都 ヌアクショット 最大の都市 ヌアクショット 独立
- 日付フランスから
1960年11月28日通貨 ウギア(MRO) 時間帯 UTC (0)(DST: なし) ISO 3166-1 MR / MRT ccTLD .mr 国際電話番号 222
モーリタニア・イスラム共和国(モーリタニア・イスラムきょうわこく、الجمهورية الإسلامية الموريتانية Al-Jumhuriya al-Islamiya al-Muritaniya)、通称モーリタニアは、アフリカ北西部に位置する共和制国家。北西に西サハラ、北東にアルジェリア、東と南にマリ、南西にセネガルと国境を接し、西は大西洋に面する。大西洋沖の西にはカーボ・ヴェルデが存在する。首都はヌアクショット。
アフリカ世界とアラブ世界の一員であり、アフリカ連合とアラブ連盟に加盟している。アラブ・マグレブ連合にも加盟しており、広義のマグリブ諸国に含まれる。
目次 |
国名
正式名称はアラビア語で、الجمهورية الإسلامية الموريتانية(ラテン文字転写は、Al-Jumhuriya al-Islamiya al-Muritaniya)。
フランス語表記は、République islamique de Mauritanie (レピュブリク・イスラミク・ドゥ・モーリタニ)。
公式の英語表記は、Islamic Republic of Mauritania (イスラミク・リパブリク・オヴ・モーラテイニア)。通称、Mauritania (モーラテイニア)。
日本語の表記は、モーリタニア・イスラム共和国。通称、モーリタニア。
国名はアフリカの地中海岸に位置したベルベル人の古代国家マウレータニア(現在のアルジェリアとモロッコ)からとられている。
歴史
詳細は「モーリタニアの歴史」を参照
8世紀(4世紀との説もある)ころから、国土の南東部に残されたクンビ=サレーを首都として、ガーナ王国が繁栄した。ガーナ王国は、セネガル川上流のバンブク周辺から産出される金とサハラ砂漠の岩塩から採取される塩、北方からの銅製品や衣服、装身具などの各種手工業製品の交易路を押さえ、その中継貿易の利で繁栄した。このようなサハラ越えの隊商交易の利を押さえようとしたムラービト朝に1077年に滅ぼされるまでその繁栄は続いた。
世界遺産にもなっているシンゲッティ、ウワダン、ウワラタ、ティシットの隊商都市は、ガーナ王国と並行して発展し、ガーナが滅亡した11~12世紀にも繁栄を続けた。シンゲッティは、モーリタニア北西部に位置し、古くからシンゲッティ王国の首都であったが、12世紀頃になるとメッカの巡礼地の出発点となり、イスラム学者、学生、修道士などが集まる文化都市となった。シンゲッティ北東約100kmに位置するウワダンは、マリ帝国で産出する金や北西約200kmに位置するイジルの岩塩から採取される塩の取り引きのための中継地にあたるため、その交易の利で12世紀ころから数百年にわたって繁栄した。内陸部のティシットもムラービト朝やムワッヒド朝の外周都市としてやはりイジルの岩塩によって繁栄した。16世紀にオウド=ベラ族に要塞都市に造り替えられた。その後、交易路が変わったために衰退した。
ガーナ王国滅亡後、500年以上にわたってベルベル人の支配が続き、黒人からなる地元勢力が抵抗したが、打倒にはいたらなかった。最後の大規模な抵抗は1644年から1674年にわたって行われた戦争であるが、これも地元勢力の敗北に終わった。
20世紀初めにフランスによって植民地化され、フランス領西アフリカの一部となった。1958年にフランス共同体が発足すると、共同体内の一共和国となった。1960年、アフリカ諸国の独立が進むなかで、11月28日に独立した。
1961年に憲法が制定された。フランス第五共和政と同様に、大統領の権限が強いものであった。初代大統領はモーリタニア人民党のモクタル・ウルド・ダッダが就任した。植民地時代の行政区画がそのまま国土の範囲に継承されたため、独立後の国民統合に課題を抱えている。1965年の憲法改正では一党独裁、社会主義政権の方針が規定された。ダッダ政権はモロッコと共に西サハラの領有権を主張し、1975年に南部を占領してポリサリオ戦線と対立した。しかし、ポリサリオ戦線との戦いによる負担は重く、和平を望んだ軍部のクーデターによって1978年7月にダッダは失脚した。翌1979年にポリサリオ戦線との和平協定が結ばれた。
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「モーリタニア」の用例一覧
在外公館に勤務する外務公務員の休暇帰国に関する省令 (e-Gov)
クショット(モーリタニア) マプト(モザンビーク) ラバト(モロッコ) トリポリ(リビア) キガリ(ルワンダ)...
law.e-gov.go.jp/htmldata/S29/S29F03301000003.html
内閣府設置法及び国家行政組織法の規定に基づき平成十九年十月一日現在の行政機関の組織を告示する件 (Wikisource)
フリカ共和国、モーリシャス、モーリタニア、モザンビーク、モロッコ、リビア、リベリア、ルワンダ、レソト> 総領事館71 <コルカタ、チェンナイ、ムンバイ、ジャカルタ、スラバヤ、デンパサール、マカッサル、メダン、チェ...
ja.wikisource.org/wiki/内閣府設置法及び国家行政組織法の規定に基づき平成十九年十月一日現在の行政機関の組織を告示する件
研修員手当の号の適用に関する規則 (e-Gov)
キナファソ ベナン モーリタニア ルワンダ カメルーン ジンバブエ マラウイ マリ ウガンダ ガーナ ガボン スーダン セネガル タンザニア モザンビーク エチオピア ザンビア ボツワナ マダガスカル ケニア アル...
law.e-gov.go.jp/htmldata/S44/S44F03301000008.html
モーリタニアに関連した本
- アフリカ〈2〉モーリタニア/マリ/セネガル/ナイジェリア/ほか (1982年) (朝日旅の百科〈海外編〉) 朝日新聞社
- 世界各国便覧叢書〈46〉セネガル共和国・モーリタニア回教共和国 (1972年) 日本国際問題研究所
- セネガル・モーリタニア (ジェトロ貿易市場シリーズ (207)) 日本貿易振興会 ジェトロ(日本貿易振興機構)