東フランク王国とは? わかりやすく解説

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ひがしフランク‐おうこく〔‐ワウコク〕【東フランク王国】


東フランク王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 16:21 UTC 版)

東フランク王国ラテン語: Francia orientalis)は9-10世紀に渡って西ヨーロッパに存在した王国である。現在のドイツの原型にあたる。


注釈

  1. ^ 西フランク王カルロマン2世の死去(884年12月12日)による。ただし、サン・ジェルマン・デ・プレ修道院長ゴズランの要請で西フランク王位を受けたのは885年2月のことである。西フランクのカロリング朝にはシャルル3世が残っていたがまだ幼児で、肥満王に後見された。
  2. ^ 「王国(regnum)」と「帝国(imperium)」との区別がはっきりするのは、ブルグント王国の編入(1032年)以降のこととされる[14]

出典

  1. ^ 成瀬他、p. 89
  2. ^ a b c 成瀬他、p. 92
  3. ^ 成瀬他、p.91
  4. ^ 瀬原、p.52-53
  5. ^ 瀬原、p. 55
  6. ^ 瀬原、p. 55[注釈 1]
  7. ^ 瀬原、p. 55-56
  8. ^ 瀬原、p. 56
  9. ^ 瀬原、p. 57
  10. ^ 成瀬他、p. 100
  11. ^ Goldberg 2006, 73.
  12. ^ Müller-Mertens 1999, 237.
  13. ^ シュルツェ、p. 25
  14. ^ a b シュルツェ、p. 7
  15. ^ Müller-Mertens 1999, 241.
  16. ^ Scales 2012, 158.
  17. ^ Goldberg 1999, 43.
  18. ^ a b Ullmann 1969, 124–27.


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東フランク王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 05:10 UTC 版)

ドイツの歴史」の記事における「東フランク王国」の解説

843年-962年詳細は「東フランク王国」を参照次代の王ルートヴィヒ1世敬虔王)の死(840年)後、843年ヴェルダン条約結ばれフランク王国は3人の息子分割された。これにより、東フランク王国・西フランク王国中フランク王国イタリア王国)が成立したその後870年メルセン条約によって中フランク王国一部東西フランク王国再分割され、領土において現在のドイツ、フランスイタリア原形成立した。ただし、今日のようなドイツ人意識はまだ形成されていない911年カロリング朝断絶後、東フランク王国(ドイツ王国)は選挙王制へと移行し10世紀初頭ザクセン朝成立した初代ハインリヒ1世は、北方ノルマン人撃退東方マジャール人撃退しまた西スラヴ人諸部族西へ進出食い止めることに尽力しザクセン朝フランク王国土台築いた当時西フランク王国王権極めて弱体で、イタリア王国事実上崩壊へ向かっており、東フランク王が事実上西欧世界盟主となっていった。2代目オットー1世大帝)は、引き続き侵入する民族討伐活躍しとりわけマジャール人955年レヒフェルトの戦い撃退した。その一方でまた、イタリア遠征敢行して教皇位をめぐる混乱収拾させた。

※この「東フランク王国」の解説は、「ドイツの歴史」の解説の一部です。
「東フランク王国」を含む「ドイツの歴史」の記事については、「ドイツの歴史」の概要を参照ください。

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