再分割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 09:47 UTC 版)
クロタールの王国は再びその4人の息子たちによって分割され、長男シギベルト1世には王国東部が与えられ、彼の分王国は「アウストラシア」と呼ばれた。アウストラシアの王は飛び地としてプロヴァンスを支配した。次男グントラムにはブルグントの支配が任された。 三男カリベルトには王国西部を、末子キルペリク1世には王国北西部のベルギー地方が与えられた。 567年にカリベルトがなくなると、その支配地は3分王国の間で分配され、キルペリク1世の分王国はノルマンディー地方にまで拡大されて「ネウストリア」と呼ばれるようになった。
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