文禄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 13:08 UTC 版)
脚注
関連項目
注釈
- ^ 天正から文禄への改元はグレゴリオ暦1593年1月10日に行われた。和暦が新年を迎えないうちに西暦だけが新年を迎えている期間であった。文禄元年は西暦1593年1月10日から同2月1日までの短期間であるため、和暦と西暦を一対一で対応させようとする場合、天正20年=文禄元年=西暦1592年、文禄2年=西暦1593年となり、実際とはずれがある。
- ^ 最長は称光天皇の即位16年後で、これは将軍足利義持が代始改元を阻止しその死まで延期せざる得なかったため。結局、称光天皇が代始した正長の元号は3か月後の天皇崩御により1年で終わった。2番目に長いのは霊元天皇の即位10年後で、これは践祚の直前、内裏の火災という災異で改元したばかりであることによる。結局、再び内裏で火災が起こり改元に至った。ただし、霊元天皇に関しても、江戸幕府が天皇の代始改元を阻止して、代わりに将軍の代始改元を導入しようとしていたとする説もある[1]。
- ^ 文禄4年に改元を願い出たが朝廷が拒否。
出典
- ^ 久保貴子「朝廷の再生と朝幕関係」『近世の朝廷運営』岩田書院、1998年 P61-66・236-240.
- ^ 三鬼清一郎 「豊臣秀吉文書に関する基礎的研究」(『名古屋大学文学部研究論集史学』34号、1988年)
- ^ 神田裕理『戦国・織豊期の朝廷と公家社会』(校倉書房、2011年) ISBN 978-4-7517-4300-3 第一部第一章「織豊期の改元」
[前の解説]
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