平安座島 石油基地建設の経緯

平安座島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/14 23:14 UTC 版)

石油基地建設の経緯

平安座島の地図。
A:沖縄ターミナル原油基地[34]。1969年着工、1970年完成。島の4分の3の土地にCTS、1971年に海中道路を建設。ガルフ社は1972年に「沖縄石油精製」と「沖縄ターミナル」を設立[35]
B:沖縄石油基地[34]。1972年着工、1980年操業。平安座島 - 宮城島間の海域を埋め立て、CTSを建造。1973年、三菱石油丸善石油との出資により「沖縄石油基地」を設立[36]

ガルフ社による基地建設

アメリカの石油会社ガルフ・オイル社(後にシェブロンへ合併)[注 1]は沖縄へ進出するため、1966年(昭和41年)10月までに金武湾周辺地域を石油備蓄基地(CTS:Central Terminal Station [35])の建設候補地として絞り込んだ。当初の計画では、宮城島に石油基地、伊計島に製油所を建設する予定であった。伊計島では誘致に概ね賛成であったが、宮城島の反対運動により進出計画は白紙になった。次にガルフ社は隣の平安座島へ誘致の検討を進めた。1967年(昭和42年)10月31日に平安座区長とガルフ社が覚書を取り交わし、翌年の1968年(昭和43年)5月17日にガルフ社が平安座島への石油基地進出の最終決定を下し、同日に平安座島の住民大会で誘致賛成を表明した。後にガルフ社の副社長が現地視察で来島した際、当時の平安座区長は彼に地主800人以上(面積にして計約64万)の土地貸与に関する同意書を提出した。平安座島でのCTS建設への賛成は、沖縄本島と結ぶ道路の建設が条件とされた[38]

CTSの起工式は1968年(昭和43年)12月8日に行われ、約1ヶ月後の1969年1月に着工された。翌年の1970年5月にCTSは完成した[39]。この工事と並行して海中道路の建設が行われた訳ではなく、建設資材は満潮時に渡り船で、干潮時は米軍から売り渡された工事用トラックで運搬していた。1970年(昭和45年)2月12日に海中道路建設の許可申請を行ったが、道路コースの選定や事務手続きに時間を取られ、翌年の1971年(昭和46年)1月11日に埋立て許可が下りた。同年5月2日に着工し、6月6日に平安座島と沖縄本島が道路によって接続された[40]

ガルフ社は1970年1月に「ガルフ石油精製」を創設、後に出光興産三菱化成合弁会社「沖縄石油精製株式会社」となり[41]、1972年(昭和47年)5月に製油所として操業した[42]。1980年(昭和55年)6月に出光興産がガルフ社と三菱化成が有する全持株を買い取り、「沖縄石油精製」は出光興産の完全子会社となる[42]。2003年(平成15年)11月に製油所機能を停止[43]、翌年に「沖縄石油精製」は解散、2009年(平成21年)に沖縄出光を設立し現在に至る[44]。また1972年11月4日に原油貯蔵・管理専門の「沖縄ターミナル株式会社」を設立し[37]、ガルフ社が建造したCTSを買収した[39]。2010年12月1日現在、当社は原油貯蔵タンク18基(計約175万キロリットル)を所有する[37]

埋立て地での基地建設

沖縄石油基地の石油タンク

1960年代後半、アメリカ占領下の沖縄日本復帰するという現実味を増す中、離島苦解消や財政強化を目指した当時の与那城村は企業誘致を進めていた[30]。1969年(昭和44年)3月、村議会は三菱商事に平安座島と宮城島間の海域の埋立て事業を要請した[45]。1970年(昭和45年)5月に三菱商事を中心とした企業団が来沖し調査を行ったが、工業用水と電力の調達が困難であるとした[46]。その際、CTS建設も検討され、三菱石油にも協力を依頼した[47]。三菱商事との折衝役を引き継いだ三菱開発より埋立て計画を決定し、1971年(昭和46年)4月28日に与那城村と覚書を締結[48]、翌月の5月15日に琉球政府へ公有水面埋立て免許の申請を行った[49]。また琉球政府の行政指導により、外資導入免許の取得を条件に事業主体を与那城村から新会社の「沖縄三菱開発」(以下「沖縄三菱」)へ移行した[50]。しかし反対派の立法院議員らの圧力により、申請許可が下りない状態が続いた[51]。沖縄三菱と誘致賛成派の村議員らと共に懇願し、1972年(昭和47年)5月9日にようやく認可された[52]

本土復帰後の1972年10月15日に埋立て工事の着工を行い、計画では2年後の1974年(昭和49年)12月までに貯蔵タンクとシーバースを含めた施設建造を完了させる予定であった[53]。しかしこの頃、隣接するガルフ社の製油所から漏洩した原油が流出し、近海が汚染されるなどの公害問題が深刻化し、これらの事故を機に1973年からCTS建設反対派の運動が激化する[54]。1974年4月30日に埋立て工事は完了し[55]、同日に竣工認可を沖縄県へ申請した[56]。1975年(昭和50年)10月4日にCTS竣工は許可され、その後埋立て地の所有権登記を行い、与那城村へ編入された[57]。1980年(昭和55年)3月6日に貯蔵タンク等の石油関連施設は完工し[58]、同月12日に操業した[59]

1973年(昭和48年)4月27日に三菱石油(現・JXTGエネルギー)と丸善石油(現・コスモ石油)の合同出資により、「沖縄石油基地株式会社」を設立した。2010年12月1日現在、原油貯蔵タンク45基(計約450万キロリットル)を有し、鹿児島県喜入基地に次ぐ大規模な石油基地となる。[60][61]

CTS建設問題

ガルフ社の宮城島進出が周知されると、島内反対派は1967年(昭和42年)3月16日に「宮城島を守る会」を、賛成派は「工場誘致促進委員会」を結成した。5月8日の与那城村会議ではガルフ社誘致が議題となり、全会一致で誘致の早期実現に関する要請決議を行い、7月1日に「石油事業誘致特別委員会」を設置した。しかし、7月19日に宮城島内で賛成・反対派間の傷害事件が発生するなど、両者は益々対立した。そもそも島内の賛成派は反対派よりも多数であったが、反対派が所有する土地が建設予定地の半分以上を占め、さらに賛成・反対派の所有地が点在し、用地取得が困難であった。その上再三に亘る反対派への説得にも誘致の支持は得られず、結局宮城島でのCTS計画は頓挫した。その後、本島と結ぶ海中道路建設を条件に平安座島の島民は、島の4分の3の土地をガルフ社に貸与した。また、島民は建設工事の請負や開業後の雇用促進による経済効果に期待を寄せていた。[38]

しかし、CTS建造後の雇用効果は予想を下回り[62]、また島内の耕作地が激減し、農業振興地域の指定は解除された[63]。1965年に指定された「与勝海上政府立公園」はCTS計画により取り消された[2]。さらに海中道路の建設により島周辺の海域に赤土流出・潮流変化に伴い漁業に深刻な打撃を受けた[23]。1973年のガルフ社による原油流出事故を切っ掛けに公害問題が深刻化し、CTS反対運動が激化する[54]。村議会や開発事務所へ抗議が殺到[64]、反対派団体「金武湾を守る会」(以下「守る会」)は当時の屋良朝苗知事へ押しかけ、CTS建設の中止を訴えた[30]。これら反対派の中には革マル派の一員などによる扇動者も含まれていたという[65]。1974年(昭和49年)1月19日、CTS建設反対の世論と全国で展開された公害防止運動の高まりを理由に挙げ、知事はCTS反対を表明、これを受け「沖縄三菱」社長は同月23日に知事と会見し、CTS反対決定の撤回を求めた[66]。また同月25日、当時の中曽根康弘通商産業大臣は国会演説で、金武湾におけるCTS建設を積極的に行うべきと発言、さらに翌月2月8日に自由民主党沖縄県支部は、屋良知事の退陣要求デモを県庁前で行った[67]。1974年9月5日に「守る会」に所属する漁民6人は沖縄県を相手取り、埋立て免許の無効確認を要求する裁判を起こした[68]。翌年の1975年10月4日の判決で、既に完工した埋立て地を元の状態へ戻すのは不可能とし、県は全面的に勝訴した[69]。次に「守る会」は1977年(昭和52年)4月9日に、環境権人格権の侵害を理由に原告1,250人によるCTS建設の差し止めを求めた[70]。しかし原告側にはCTSが立地する平安座島の住民は存在しなかった[71]。1979年(昭和54年)3月29日の判決で原告は敗訴し、CTS反対運動は次第に衰退した[71]


注釈

  1. ^ 実際はリベリアに法人を置くガルフ社の子会社、ガルフ・アジアン・ターミナル(GATI:Gulf Asian Terminal Inc.)が1968年1月に進出[37]

出典

  1. ^ 『平成27年1月 離島関係資料』(2015年)p.7
  2. ^ a b c d 『島嶼大事典』(1991年)p.452
  3. ^ a b c d e 『角川日本地名大辞典』「平安座島」(1991年)p.627
  4. ^ 平成26年全国都道府県市区町村別面積調 島面積” (PDF). 国土地理院. p. 108 (2014年10月1日). 2015年3月16日閲覧。
  5. ^ a b 加藤(2012年)p.148
  6. ^ a b c 『日本歴史地名大系』「平安座島」(2002年)p.413上段
  7. ^ 『沖縄大百科事典 下巻』「平安座島」(1983年)p.434
  8. ^ a b 『角川日本地名大辞典』「平宮」(1991年)p.604
  9. ^ 琉球政府広報 1965年第78号』「告示第329号 与勝海上政府立公園の指定について」(1965年10月1日発行)
  10. ^ 『琉球政府広報 1972年第31号』「告示第113号 与勝海上政府立公園の指定解除並びに沖縄戦跡政府立公園の保護計画の変更及び沖縄海岸政府立公園の利用計画」(1972年4月18日発行)
  11. ^ 『沖縄大百科事典 下巻』「平宮」(1983年)p.328
  12. ^ a b c d 『角川日本地名大辞典』〔近世〕「平安座村」(1991年)p.626
  13. ^ a b 『SHIMADAS 第2版』(2004年)p.1189
  14. ^ 『旧市町村名便覧(平成18年10月1日現在)』(2006年)p.616
  15. ^ a b c d 『角川日本地名大辞典』「平安座」(1991年)p.626
  16. ^ a b c d 『日本歴史地名大系』「平安座島」(2002年)p.413中段
  17. ^ 『角川日本地名大辞典』「平安座東ハンタ原貝塚」(1991年)p.626
  18. ^ 『沖縄大百科事典 下巻』「平安座東ハンタ原貝塚」(1983年)pp.433 - 434
  19. ^ a b 『日本歴史地名大系』「平安座西グスク」(2002年)p.414上段
  20. ^ 『角川日本地名大辞典』「平安座西城」(1991年)p.626
  21. ^ 『沖縄大百科事典 下巻』「平安座西グスク」(1983年)p.434
  22. ^ a b c d 『日本歴史地名大系』「平安座村」(2002年)p.412下段
  23. ^ a b c 『角川日本地名大辞典』〔近代〕「平安座村」(1991年)p.626
  24. ^ a b 『角川日本地名大辞典』「与那城町〔沿革〕与那城事件」(1991年)p.1004
  25. ^ a b 『沖縄大百科事典 下巻』「平安座船」(1983年)p.434
  26. ^ 『日本歴史地名大系』「平安座村」(2002年)p.413上段
  27. ^ a b 『角川日本地名大辞典』「与那城町〔沿革〕平安座への空爆」(1991年)p.1004
  28. ^ a b c 『角川日本地名大辞典』「平安座市」(1991年)p.627
  29. ^ 『沖縄大百科事典 下巻』「平安座市」(1983年)p.434
  30. ^ a b c d 『日本歴史地名大系』「平安座島」(2002年)p.413下段
  31. ^ 『角川日本地名大辞典』「与那城町〔沿革〕石油精製・備蓄基地」(1991年)p.1005
  32. ^ 『広報うるま No.86:2012年5月1日号』(2012年)p.13
  33. ^ 『広報うるま No.86:2012年5月1日号』(2012年)p.12
  34. ^ a b 『SHIMADAS 第2版』(2004年)p.1190
  35. ^ a b 松井編『開発と環境の文化学』(2002年)p.225
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  40. ^ 松井編『開発と環境の文化学』(2002年)pp.293-295
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  75. ^ 松井編『島の生活世界と開発 3 沖縄列島』(2004年)p.175
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  77. ^ 松井編『開発と環境の文化学』(2002年)p.291
  78. ^ 松井編『島の生活世界と開発 3 沖縄列島』(2004年)p.181
  79. ^ 松井編『島の生活世界と開発 3 沖縄列島』(2004年)p.184
  80. ^ 松井編『島の生活世界と開発 3 沖縄列島』(2004年)p.185
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  82. ^ 松井編『島の生活世界と開発 3 沖縄列島』(2004年)p.196
  83. ^ 松井編『島の生活世界と開発 3 沖縄列島』(2004年)p.197
  84. ^ a b c d 『角川日本地名大辞典』「平安座海中道路」(1991年)p.626
  85. ^ a b 『沖縄大百科事典 上巻』「海中道路」(1983年)p.663
  86. ^ 松井編『開発と環境の文化学』(2002年)p.297
  87. ^ a b 太田(2004年)p.176
  88. ^ 伊計屋慶名線 - うるま市






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