ガルフ社による基地建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 04:20 UTC 版)
アメリカの石油会社ガルフ・オイル社(後にシェブロンへ合併)は沖縄へ進出するため、1966年(昭和41年)10月までに金武湾周辺地域を石油備蓄基地(CTS:Central Terminal Station )の建設候補地として絞り込んだ。当初の計画では、宮城島に石油基地、伊計島に製油所を建設する予定であった。伊計島では誘致に概ね賛成であったが、宮城島の反対運動により進出計画は白紙になった。次にガルフ社は隣の平安座島へ誘致の検討を進めた。1967年(昭和42年)10月31日に平安座区長とガルフ社が覚書を取り交わし、翌年の1968年(昭和43年)5月17日にガルフ社が平安座島への石油基地進出の最終決定を下し、同日に平安座島の住民大会で誘致賛成を表明した。後にガルフ社の副社長が現地視察で来島した際、当時の平安座区長は彼に地主800人以上(面積にして計約64万坪)の土地貸与に関する同意書を提出した。平安座島でのCTS建設への賛成は、沖縄本島と結ぶ道路の建設が条件とされた。 CTSの起工式は1968年(昭和43年)12月8日に行われ、約1ヶ月後の1969年1月に着工された。翌年の1970年5月にCTSは完成した。この工事と並行して海中道路の建設が行われた訳ではなく、建設資材は満潮時に渡り船で、干潮時は米軍から売り渡された工事用トラックで運搬していた。1970年(昭和45年)2月12日に海中道路建設の許可申請を行ったが、道路コースの選定や事務手続きに時間を取られ、翌年の1971年(昭和46年)1月11日に埋立て許可が下りた。同年5月2日に着工し、6月6日に平安座島と沖縄本島が道路によって接続された。 ガルフ社は1970年1月に「ガルフ石油精製」を創設、後に出光興産と三菱化成の合弁会社「沖縄石油精製株式会社」となり、1972年(昭和47年)5月に製油所として操業した。1980年(昭和55年)6月に出光興産がガルフ社と三菱化成が有する全持株を買い取り、「沖縄石油精製」は出光興産の完全子会社となる。2003年(平成15年)11月に製油所機能を停止、翌年に「沖縄石油精製」は解散、2009年(平成21年)に沖縄出光を設立し現在に至る。また1972年11月4日に原油貯蔵・管理専門の「沖縄ターミナル株式会社」を設立し、ガルフ社が建造したCTSを買収した。2010年12月1日現在、当社は原油貯蔵タンク18基(計約175万キロリットル)を所有する。
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