大隈信幸 大隈信幸の概要

大隈信幸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 04:54 UTC 版)

大隈 信幸
おおくま のぶゆき
大隈信幸(1948年)
生年月日 1910年5月20日
没年月日 (2004-02-28) 2004年2月28日(93歳没)
出身校 東京帝国大学経済学部卒業
(現東京大学経済学部)
前職 日立製作所従業員
現職 外務省職員
所属政党 (民主党→)
民主クラブ
称号 従四位
経済学士(東京帝国大学・1935年
配偶者 大隈馨子
親族 祖父・大隈重信(内閣総理大臣)
祖父・松浦詮(貴族院議員)
伯父・松浦厚(貴族院議員)
伯父・佐竹義準(貴族院議員)
叔父・井上勝純(貴族院議員)
父・大隈信常(貴族院議員)
義父・久原房之助(逓信大臣)

選挙区 全国区
当選回数 1回
在任期間 1947年5月3日 - 1953年4月14日

貴族院議員
選挙区 貴族院侯爵議員
在任期間 1947年2月15日 - 1947年5月2日
テンプレートを表示

大隈 信幸(おおくま のぶゆき、1910年5月20日 - 2004年2月28日)は、日本政治家外交官華族侯爵)。

貴族院議員、参議院議員(1期)、コロンビア駐箚特命全権大使ガーナ駐箚特命全権大使などを歴任した。

来歴

生い立ち

東京帝国大学経済学部に入学し、1935年に卒業した[1]1938年日立製作所に入社する[1]1947年、父である大隈信常の死去にともない、爵位を襲爵し侯爵となった[1]

政界での活動

1947年2月に貴族院議員に就任したが、日本国憲法施行により貴族院が廃止されたため、3か月弱で貴族院議員としての地位を失った。また、同年4月に行われた第1回参議院議員通常選挙全国区から立候補し、当選を果たした。参議院では民主クラブに所属した。任期満了まで2か月あまりを残し、1953年4月に議員を辞職した。以降は政界での積極的な活動は行わず、再び国会議員になることはなかった。

官界での活動

1953年に参議院議員を辞職すると、同年に外務省に入省した[1]。外務省では外交官として活躍し、ウルグアイ駐箚公使コロンビア駐箚特命全権大使ガーナ駐箚特命全権大使を歴任した[1]

官界引退後

外交官を退くと、早稲田大学名誉顧問、早稲田大学校賓早稲田実業学校名誉校長早稲田高等学校名誉校長などの各種名誉職に就いた[1]2004年2月に死去、早稲田大学大隈講堂にて大学葬が行われた[2]

栄典

家族・親族

華族大隈侯爵家の出身で、首相を務めた大隈重信を祖父(名目上は義祖父、実際は血縁上も祖父)に持つ。父は松浦家出身で養子のため重信との血縁はない。母は重信の後妻・綾子の姪ということになっているが、実際には重信が女中に産ませた子である[4]。父の信常も貴族院議員を務めた。妻は立憲政友会正統派総裁を務めた久原房之助の三女。

大隈家

  • 祖父:大隈重信(旧佐賀藩士、侯爵、政治家、教育者)
  • 養祖母:大隈綾子(重信の後妻)
  • 父:大隈信常(政治家、実業家、大隈重信の養嗣子)
  • 母:大隈光子(綾子の兄・三枝守富の三女、実際には大隈重信が女中に産ませた子)
  • 妹:広沢豊子(広沢金次郎の息子広沢真吾の妻)
  • 伯母:大隈熊子(大隈重信と先妻の実子、南部利剛の次男の英麿を婿養子に迎えたが離婚)
  • 妻:大隈馨子(久原房之助の三女)(1916年生[5])
  • 長女:大隈和子 (1940年生[5])
  • 次女:治子 (1943年生[5])
  • 三女:明子(1945年生[5])
信幸がウルグアイ大使時代、娘の同級生にルシア・トポランスキー(ホセ・ムヒカの妻でウルグアイ副大統領)がおり、親しくしていた[7]、なお趣味はスポーツ将棋[5]

松浦家

脚注

注釈

出典

議会
先代
櫻内辰郎
参議院外務委員長
1951年
次代
有馬英二
爵位
先代
大隈信常
侯爵
大隈(重信)家第3代
1947年
次代
華族制度廃止




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大隈信幸」の関連用語

大隈信幸のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大隈信幸のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大隈信幸 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS