北朝鮮拉致問題 概要

北朝鮮拉致問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 18:48 UTC 版)

概要

2006年4月、ジョージ・W・ブッシュアメリカ合衆国大統領に拉致被害者奪還の協力を求める横田めぐみの母・弟と脱北者少女キム・ハンメ

1946年7月31日、北朝鮮の指導者金日成南朝鮮からインテリを連れてくることを指示した[2]。これが、北朝鮮による韓国人拉致問題の始まりである。韓国人の拉致被害者は500人近くにおよぶとみられる[3]。日本に関連する問題については、ここでも随時触れているが、より詳しくは北朝鮮による日本人拉致問題を参照のこと。

北朝鮮指導者が拉致をおこなったねらいはわかりにくい部分もあるが、当初、計画的なものとしては拉致の目的はスパイ養成のための教育係とする意図があったと考えらえる[3]。朝鮮戦争後の1953年以降、北朝鮮は韓国人を相次いで拉致した[3]。北朝鮮は、1969年には韓国の国内線をハイジャック元山市に着陸、39人を帰国させたが11名の韓国人は解放されなかった[3]。北朝鮮の元工作員安明進の証言によれば、多くの韓国人拉致被害者が、平壌市北東の地下に掘られた巨大なトンネルのなかでスパイ教育の任務にあたらされた[3][4]。「以南化環境館」と名付けられたその施設には、銀行警察署スーパーマーケット、高級ホテル歓楽街まで韓国にあるものそのままに再現されていた[3][4]。スパイの「韓国人化教育」にたずさわった人は80人以上におよんだが、その多くは韓国より拉致・誘拐されてきた人々であった[3][4]。その他には、近隣諸国にスパイを送り込もうとした際に現場を目撃され、グループの他のメンバーらが、人民を救うために行っているとの建前から目撃者を殺して口封じをするわけにもいかず、そのまま誘拐したケースもあったといわれる。

世界各地に誘拐ネットワークを張りめぐらせた「外国人コレクター」、北朝鮮の金正日

金日成存命中の1970年代半ばより、金正日はスパイ部門を率いており、西側の情報を収集するには服装や態度も完全に西側の人間にみえるような「現地化」の方針が出された[3]。1977年、金正日は、北朝鮮の工作員たちに対し「マグジャビ」(手当たり次第)に外国人を誘拐するよう命じている[3]。北朝鮮の工作員だった辛光洙は複数の拉致事件に関与したとされ、その被害者のひとりが横田めぐみである[3][注釈 1]。日本政府は長期にわたって辛光洙の引き渡しを求めてきた[3][注釈 2]

  • 2月7日、東京学芸大学学生の藤田進(19歳)が拉致される。
  • 8月2日、山口県宇部市で国広富子(24歳)が拉致される。
  • 8月18日、ポプラ事件(板門店で米兵がポプラの木を剪定中、金正日に命じられた北朝鮮の軍兵が集団で襲撃し、斧で米兵を殺害した事件)
1978年、香港で拉致された韓国人女優崔銀姫(1926-2018)
写真は1966年のもの
  • 1979年、レバノン政府や家族からの抗議で前年に拉致されたレバノン人女性4人が解放される[3][注釈 9]
  • 1980年(昭和55年)1月7日サンケイ新聞は1面トップで「アベック3組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?」と報じ、暗に北朝鮮による犯行であることを示唆[22]1月9日には「宇出津事件」を単なる密出国事件ではなく、久米裕拉致事件として1面で報道した[23]
  • 1983年7月、有本恵子(23歳)が欧州で拉致される。
  • 1984年6月4日、甲府市の山本美保(20歳)が新潟県で拉致される。
  • 1986年3月、崔銀姫と申相玉、ウィーン滞在中にアメリカ大使館に逃げ込んで脱出成功、米国に亡命[3][24]。2人は自分たちの拉致体験を著作『闇からの谺(こだま)— 北朝鮮の内幕』にまとめた[3]
  • 1987年1月、韓国出身の申淑子(45歳)と2人の娘、呉惠媛(11歳)・呉圭媛(9歳)が耀徳強制収容所に強制収容される。
横田滋(家族会初代会長)に抱き上げられる横田めぐみ(1965年3月撮影)
  • 2000年4月5日、日朝国交正常化交渉再開[27]
  • 2001年12月17日、朝鮮赤十字会が行方不明者の調査全面中止を発表[27]
小泉純一郎と金正日(2002年9月17日)
  • 3月22日、朝鮮赤十字会が行方不明者の調査再会を発表[27]
  • 4月11日、衆議院で「日本人拉致疑惑の早期解決を求める決議」が全会一致で採択、翌日参議院でも同様の決議が採択された[29]
  • 4月25日、「新拉致議連」(会長石破茂)発足。
  • 8月、日朝赤十字会談、外務省局長級協議開催[27]
  • 9月17日、小泉純一郎首相の北朝鮮訪問。日朝平壌宣言。北朝鮮側が「5名生存、8名死亡」を発表。金正日は拉致事件を「一部の妄動主義、英雄主義者の仕業」であり、「祖国統一事業のために日本語教師が必要だった」として小泉首相に公式に謝罪した[27][30]
  • 10月8日、警察庁が曽我ひとみ曽我ミヨシ石岡亨松木薫の4人を拉致認定、計10件15人[27]
  • 10月15日、拉致被害者5人が日本に帰国(当初は一時帰国の予定)[27]
  • 10月29日、日朝国交正常化交渉再開(クアラルンプール[27]
  • 2014年2月、北朝鮮の人権に関する国連調査員会の報告書が公表される[37]。それによれば、拉致や拷問など北朝鮮国家の最高指導者が決定した政策によって、広範囲にわたる「人道に対する罪」が行われ、現在も続いており、国際刑事裁判所(ICC)への付託を含め、北朝鮮の人権状況に対する国際社会の緊急行動を求めた[37]
  • 5月28日、ストックホルム合意。北朝鮮が「拉致問題は解決済み」としてきた立場を改めて、「特別調査委員会」を設置し、拉致被害者を含む日本人行方不明者の調査を行うと約束。代わりに日本政府は独自の制裁措置の一部を解除することで合意[38][39]
  • 2015年3月9日、マルズキ・ダルスマンが国連人権理事会に提出した北朝鮮人権状況国連特別報告書が公表され、3月27日、同理事会において、日本とEU(ヨーロッパ連合)が共同提出した北朝鮮人権状況決議案が賛成多数で採択された[40]
  • 2021年10月18日、日本の第100代首相岸田文雄が家族会と面談し、「金正恩朝鮮労働党総書記と条件を付けず直接向き合う」意向を伝える[41]

注釈

  1. ^ 辛光洙は招待所で曽我ひとみを招待所で教育する係だったが、辛は曽我に「めぐみちゃんを日本から拉致してきたのは自分だ」と話したという[5]
  2. ^ 1989年、韓国の民主化運動で逮捕された在日韓国人政治犯の釈放を嘆願する趣旨の要望書が、当時の日本社会党・公明党・社会民主連合ほか議員有志133名の署名とともに韓国政府へ提出されたが、このとき釈放要望対象となった政治犯29名の中に辛光洙や拉致の共犯者だった金吉旭など北朝鮮工作員の名が複数含まれていたことが判明した[6]。金正日が北朝鮮による日本人拉致実行を認めたのが2002年9月であった。同年10月19日、当時内閣官房副長官であった安倍晋三は、土井たか子菅直人を名指しして「極めてマヌケな議員」と評し、署名した国会議員は保守政治家はもとより、日本共産党からも激しく批判された[6][7]。このような批判に対し、菅直人は「釈放を要望した人物の中に辛光洙がいるとは知りませんでした。 そんな嘆願書に署名したのは私の不注意ですので、今は率直にお詫びしたい」と謝罪した[6]。なお、民主党菅直人内閣が成立したのは、2010年6月のことである。
  3. ^ 拉致されたのは、機長ユ・ビョンハ(38歳)、副操縦士チェ・ソクマン (37歳)、乗務員チョン・ギョンスク (24歳)、乗務員ソン・ギョンフィ(23歳)、乗客は、印刷所勤務イ・ドンギ (49歳)、アナウンサーファン・ウォン (32歳)、記者キム・ボンジュ (27歳)、病院長チェ・ホンドク (37歳)、会社員イム・チョルス (49歳)、飲食業チャン・ギヨン (40)、韓国スレートのチェ・ジョンウン (28歳)の11名[9]
  4. ^ 1997年11月に逮捕された夫婦スパイ事件の崔ジョンナム工作員の供述により、平壌直轄市龍城区域の「以南化環境館」で教官をしていることが判明[11]
  5. ^ タイ北部の小さな村からマカオに出稼ぎに来ていたスカム・パンジョイの妹アノーチャは、同地で拉致されたのち、平壌で米軍の元脱走兵と結婚した[3]。長らく行方不明だったが、2005年に平壌で生存していることが報道された[3]。曽我ひとみの夫チャールズ・ジェンキンスの近所に住んでおり、ジェンキンスがその情報源である[3]。北朝鮮当局はアノーチャの拉致を否定したが、タイ政府は外交圧力を続けている[3]
  6. ^ 崔・申共著の『闇からの谺— 北朝鮮の内幕』によれば、あるフランス人女性は、東洋の富豪を装った北朝鮮の工作員が彼の両親に会わせると騙して平壌に連行され、マカオの宝石店で働いていた中国人女性は富裕な日本人青年を装った工作員に誘われてボートに乗ってしまい、やがて大きな船に移され、そのまま平壌に連行されたという[3]
  7. ^ 拉致犯罪をおこなった北朝鮮工作員は、日本人を装い、ベイルートの秘書学校を訪れて日本企業での高給の職業を斡旋すると騙し、彼女らを誘拐した[3]
  8. ^ このうち、葉玉芬(Yeng Yoke Fun)については、チャールズ・ジェンキンスによる平壌市内での目撃証言がある[19]
  9. ^ 4人のうち1人(シハーム・シュライテフ)は元米兵と結婚し、妊娠もしていたのでみずから北朝鮮にもどった[3]。解放されたレバノン人女性は、北朝鮮ではフランス人女性3人、オランダ人2人、イタリア人3人とともにスパイの訓練を受けていたことが報じられた[3]
  10. ^ 旧拉致議連の会長だった中山正暉は「7件10人を事実上棚上げしたうえで有本の拉致を「よど号グループ」が勝手にやったこととして「解決」しようとした[29]。有本の事例を「日本人が日本人が拉致したもので、北朝鮮は関係ない」(2002年3月15日)という理屈で、これならば北朝鮮を傷つけることなく譲歩を引き出しやすいと考えたという[29]
  11. ^ 2019年12月27日付「京都新聞」は、2014年に田中実ら2人の生存情報を非公式に北朝鮮が日本政府に伝えた際、政府高官は非公表にすると決めていたと報じた[33]
  12. ^ 浜本富貴恵地村保志蓮池薫奥土祐木子曽我ひとみの5名[28]久米裕横田めぐみ田口八重子市川修一増元るみ子曽我ミヨシ松木薫石岡亨有本恵子原敕晁、田中実、松本京子の12名は未送還[28]。この12名について、北朝鮮側は「8人死亡、4人は入境せず」と虚偽の説明をした[28]。なお、「救う会」では、日本国政府認定の17名の他に、寺越昭二寺越外雄寺越武志小住健蔵福留貴美子加藤久美子古川了子を加えた24名を拉致認定している[28]

出典

  1. ^ a b “忘れてはならない 世界で続く北朝鮮の拉致問題”. NHK NEWS WEB. (2020年12月11日). https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201211/k10012758311000.html 2021年2月18日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 惠谷治. “北朝鮮による拉致の分析”. 救う会. 2011年11月20日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 「ニューズウィーク日本版」2006年2月22日(通巻993号)pp.32-34
  4. ^ a b c 『横田めぐみは生きている』(2003)pp.116-117
  5. ^ 阿部(2018)p.194
  6. ^ a b c d e 「青島幸男も村山富市も「拉致犯釈放」署名のマヌケ仲間 (ワイド特集 悪い奴ほどよく眠る)」「週刊新潮」2002年11月7日号。
  7. ^ 「公明党 拉致実行容疑者の辛光洙釈放要望 — ”知らなかった”ではすまない 署名の1年前に橋本議員追及」 - 2003年2月20日(木)「しんぶん赤旗」
  8. ^ a b c d e f g h i ジュネーブで政府主催拉致シンポジウム(2012/11/09) - 救う会全国協議会ニュース
  9. ^ 「忘れ去られた拉致被害者たち」 - PSCORE(成功的な韓国の再統一を成す人々)
  10. ^ 竹内明 (2017年11月12日). “北朝鮮「武闘工作部隊」日本人妻と子供たちが辿った残酷すぎる運命”. 現代ビジネス. 2020年9月9日閲覧。
  11. ^ a b c d e f 高世(2002)pp.309-311
  12. ^ 『闇からの谺』上(1989)pp.16-28
  13. ^ 『闇からの谺』上(1989)pp.246-252
  14. ^ 阿部(2018)pp.47-50
  15. ^ 『闇からの谺』上(1989)pp.139-145
  16. ^ 西日本新聞「金英男さん拉致」(2006年6月29日)
  17. ^ 阿部(2018)pp.50-53
  18. ^ 阿部(2018)pp.26-29
  19. ^ a b c 拉致被害者情報を当時国国連代表部に-家族会・救う会訪米団”. 救う会全国協議会ニュース. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2006年10月31日). 2021年10月23日閲覧。
  20. ^ a b c ルーマニア人拉致被害者ドイナさんの身元が判明”. 救う会:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会. 2021年9月23日閲覧。
  21. ^ a b c 日本以外の拉致被害者”. 政府・拉致問題対策本部. 内閣官房・拉致問題対策本部. 2021年9月23日閲覧。
  22. ^ 阿部(2018)pp.71-74
  23. ^ 阿部(2018)pp.74-80
  24. ^ 崔・申『闇からの谺(下)』(1989)pp.307-325
  25. ^ a b c 阿部(2018)pp.119-122
  26. ^ 「拉致被害者は生きている!」―北で「拉致講義」を受けた李英和教授が証言 - yahooニュース 2018年6月18日
  27. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 重村(2002)pp.49-50
  28. ^ a b c d e f g h 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
  29. ^ a b c d e 高世(2002)pp.237-248
  30. ^ 李(2009)pp.178-183
  31. ^ 拉致40年 歳月と希望 蓮池夫妻編”. 新潟日報モア「拉致問題」. 新潟日報 (2018年11月15日). 2021年9月23日閲覧。
  32. ^ 荒木(2005)pp.183-184
  33. ^ 「京都新聞」2019年12月27日朝刊3
  34. ^ 重村(2012)pp.206-207
  35. ^ すべての拉致被害者の帰国をめざして~帰国から10年 拉致被害者家族の声”. 政府インターネットテレビ (2012年11月1日). 2021年12月20日閲覧。
  36. ^ 第66回(2011年)国連総会本会議 北朝鮮人権状況決議 投票結果”. 外務省人権人道課 (2012年12月). 2021年12月20日閲覧。
  37. ^ a b c 北朝鮮の人権に関する国連調査委員会、報告書を公表 広範囲にわたる「人道に対する罪」を指摘”. 国際連合広報センター (2014年2月18日). 2021年9月28日閲覧。
  38. ^ 日朝政府間協議(概要)”. 外務省 (2014年5月30日). 2021年9月28日閲覧。
  39. ^ 合意内容(PDF)”. 外務省 (2014年5月30日). 2021年9月28日閲覧。
  40. ^ 第28回人権理事会における北朝鮮人権状況決議の採択について(外務大臣談話)”. 外務省 (2015年3月27日). 2021年9月28日閲覧。
  41. ^ 拉致解決「先頭に立つ覚悟」 首相が家族会と面会”. 産経新聞 (2021年10月18日). 2021年10月18日閲覧。
  42. ^ 日本以外の拉致被害者/北朝鮮による日本人拉致問題外務省、2010年4月4日時点でのアーカイブ。
  43. ^ 世界各国で子どもを拉致するよう指令(TBSニュースアイ、2011年12月10日)
  44. ^ “「拉致被害14カ国に拡大 脱北者「ドイツ、シリア人も」」”. 産経新聞. (2013年2月10日). http://sankei.jp.msn.com/smp/world/news/130210/kor13021002000001-s.htm 2013年2月10日閲覧。 
  45. ^ 北、米国人も拉致か 米調査機関が指摘MSN産経ニュース、2011年12月9日)
  46. ^ トランプ政権、「2004年の米大学生北朝鮮拉致疑惑」真相調査に着手東亜日報日本語版、2017年2月7日)
  47. ^ 中国が米国人失踪に関与? 拉致情報を米側に提供 家族会代表ら 産経ニュース 2012年5月9日
    アメリカ合衆国国務省トマス・ナイズ副長官およびユタ州のマイケル・リー上院議員と面会し情報を得る。[リンク切れ]
  48. ^ Council holds separate debates on the situation of human rights in the Democratic People's Republic of Korea and in Eritrea - 国際連合人権理事会 (英語)
  49. ^ Report of the Special Rapporteur on the situation of human rights in the Democratic People’s Republic of Korea, - Marzuki Darusman 国際連合人権理事会(英語)





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「北朝鮮拉致問題」の関連用語

北朝鮮拉致問題のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



北朝鮮拉致問題のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの北朝鮮拉致問題 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS