史料
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史料(しりょう、独: Quellen、英: Source, historical materials)は、過去に存在した事象を把握し筋道を立てるのに役立つ材料を指す[1]。紙に文字で書き記された文献や、考古学上の遺構・遺物・遺跡、イメージ史料となる絵画、写真、オーラル・ヒストリー、伝承などを含む。歴史家が歴史を研究・記述する際に用いるあらゆるものが史料である[注 1]。
注釈
出典
- ^ a b c “歴史史料とは何か|史料にみる日本の近代”. 国立国会図書館. 2019年2月2日閲覧。
- ^ a b 東京大学教養学部歴史学部会, ed (2006). 史料学入門. 岩波書店. p. 8
- ^ 土屋直之「図書館司書のための歴史史料探索ガイド」『北の文庫』52号、2010年。p.2。
- ^ “日本史史料研究会”. 日本史史料研究会. 2023年5月13日閲覧。
史料(『米子自治史』より)
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「住田善平」の記事における「史料(『米子自治史』より)」の解説
自治功勞者 - 住田 善平 明治十四年聯合町會議員に當選以來縣郡會議員、町會議員、學務委員、名譽助役、町長等の公職に在ること二十有六年熱誠克く町治に盡瘁し學校醫を始め火葬及公設芥溜場の設置、町徽章並に避病院藥價規程の制定等治績見るべきものあり、明治三十九年歿して大正十一年五月旌表規程により功勞章及銀盃壹個を賵り其の功勞を表彰せられ更らに自治制實施五十周年を迎へ特別功勞者として其の肖像寫眞を市役所内に掲げられた。
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史料(『山陰合同銀行史』)
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「米子銀行」の記事における「史料(『山陰合同銀行史』)」の解説
同行創立前後の状況について、大正9年(1920年)発行の新築記念株式会社米子銀行営業案内は次のように述べている。 「當時山陰地方殊に伯耆地方にありては商工業稍(やや)振興せりと雖も金融機関未だ備らず、ただ第八十二國立銀行支店の營業せしものなきに非ざりしも地方商人の取引頗る稀にして、商業取引上最も密接の關係を有する為替取組甚だ不便にして、多くは坂口商店などの手を煩し僅に処辧も得たるに過ぎず。 されば地方商估の銀行を要望する念頗る切なるものあり、その設立の機運既に熟しければ、遂に明治二十六年十一月當時の米子商工會會頭坂口平兵衛氏の主唱の下に、同氏並に野坂茂三郎氏外数人發起人となりて、株式二千株、株主七十五名より成る所の唯一私立銀行企画せられ、翌年一月設立免許を受け、株式會社米子銀行として營業を開始せり。是を當行の起源とす。然るに當行創立早々二十七、八年戰役起りしかば、進んで軍事公債の應募をなして其信用を博し、戦後財界の變動に遭遇せしもよくその任務をあやまらず、以て地方金融界に貢献する所ありたり。」
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史料(日野郡黒坂町・光明寺・稲田清淳墓碑)
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「稲田清淳」の記事における「史料(日野郡黒坂町・光明寺・稲田清淳墓碑)」の解説
稲田清淳 - 故陸軍三等軍医正七位勲六等稲田清淳墓 清行院義貫智淳居士 明治三十八年二月十二日、三等軍医、正七位、稲田清淳病みて清国盛京省遼陽八里荘分医院に没す。享年四十歳、越えて二月十二日先塋の次に帰葬す。 君は稲田氏。伯耆の国日野郡黒坂村の人なり。人となり剛快にして細行に拘(こだ)はらず。夙(つと)に医学を志し、明治二十年大阪に遊びて内外の諸科を修む。二十二年内務省試に応じて及第し允(ゆる)さるるを得たり。此より専ら公私の医務に任じ精勤を以て稱へらる。 二十一年郷に帰りて開業す。二十九年台湾に赴き、公医に挙げられ比須篤病原を究(きは)め、得る所少なからず。 後郷里に帰りて業に復す。君事務に精通するを以て郡会議員に選ばれ、其の副議長と為る。討露の役に官医員を召す。君奮起して募に応じ第十師団に属して見習医官と為る。未だ幾ばくもあらずして三等軍医に任ぜられ、正八位に叙せらる。時に三十七年十月なり。其の冬軍中に発瘟(はつをん)の虞(おそれ)有り。 君命を奉じて高家屯に在り、診療に従事して日夕に寝食を忘る。療治室、避隔室等を設けて、防備具(つぶさ)に至れり。軍衆及び土民をして其の惨毒を治免せしむ。君積労の極遂(つひ)に其の気の感染する所と為りて、療養功無く終(つひ)に起(た)たず。 朝廷特に其の功を賞して位階を進め金を賜ふに若干を以てす。土人等も亦金を醵して寄贈すと云ふ。銘に曰く刀圭もて衆を済(すく)ふ。何ぞ必ずしも戈を操らん。偉なるかな仁術。其の功も亦多なり。明治三十九三月二十日 田中尚撰
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史料
「史料」の例文・使い方・用例・文例
- 史料
- 彼はローマ軍についての史料集を読んだ。
- 史料.
- これはその件に関する現存する最古の史料です.
- それは史料の読み方しだいだ.
- 史料調査会
- 彼女は財務省の史料部に仕事を見つけた
- 古い時代の史料となる記録
- その時代に関する史料があまりないのだ。
- 我々の持つ数少ない史料の1つが,国宝の七(しち)支(し)刀(とう)である。
- この像は,2003年から善光寺の史料館で一般公開されている。
- 美術館で重要史料が発見される
- それらの大半が新発見の史料であると考えられている。
- 研究者は,史料のさらなる研究によって,この時代の歴史の一部に再解釈が必要となるかもしれないと考えている。
- その文書の内容は他の史料から知られていたが,元の文書は見つかっていない。
- それは外務省外交史料館で保管されている。
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