2000年代以降に死刑確定とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 2000年代以降に死刑確定の意味・解説 

2000年代以降に死刑確定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 16:52 UTC 版)

少年死刑囚」の記事における「2000年代以降に死刑確定」の解説

戦後日本少年死刑囚(2000年代以降に死刑確定 / 平成時代事件事件氏名事件発生事件当時年齢罪状殺害され被害者数事件概要判決宣告日(太字死刑確定日)備考参考文献40 市川一家4人殺害事件 S・T 1992年平成4年3月5日 - 6日19歳 強盗殺人殺人など 4人 暴力団関係者トラブル起こして200万円要求されたため、盗みによりこれを得よう決意し事件1か月前に強姦した被害者少女高校1年生)宅に窃盗目的侵入家人居合わせたことで強盗転じ、(被害者少女祖母両親・妹)4人を相次いで殺害逮捕されるまでの間、少女数回にわたり強姦したほか、本事件前に傷害強姦致傷などの事件起こしていた。 1994年平成6年8月8日 千葉地裁死刑 1996年平成8年7月2日 東京高裁控訴棄却 2001年平成13年12月3日 最高裁第二小法廷上告棄却 1973年昭和48年1月30日生まれ2017年12月19日東京拘置所死刑執行44歳没)。 41 大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件 K・M 1994年9月28日 - 1994年10月8日 19歳 殺人強盗殺人など 4人 K・M(以下「KM」)、K・A(以下「KA」)、H・M(以下「HM」)の3人は11日間に、大阪府愛知県・岐阜県の3府県で偶然居合わせた青年対し激し暴行加え、4人を殺害する事件起こした。また被告人KM一連の事件前に強盗致傷事件起こしたほか、大阪府事件愛知県事件の間に単独ないしKAやほか1人共謀して恐喝共同暴行などの事件起こした2001年平成13年7月9日 名古屋地裁死刑 2005年平成17年10月14日 名古屋高裁死刑破棄自判2011年平成23年3月10日 最高裁第二小法廷上告棄却 1975年昭和50年3月19日生まれ2019年10月1日時点東京拘置所収監中(現在47歳)。最高裁把握している1966年以降1つ少年事件同時に複数被告人死刑確定した事例は初。 42 大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件 K・A 1994年9月28日 - 1994年10月8日 19歳 2001年7月9日 名古屋地裁無期懲役 2005年10月14日 名古屋高裁死刑破棄自判2011年3月10日 最高裁第二小法廷上告棄却 1975年7月21日生まれ2019年10月1日時点名古屋拘置所収監中(現在46歳)。 43 大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件 H・M 1994年9月28日 - 1994年10月8日 18歳 1975年10月23日生まれ2019年10月1日時点名古屋拘置所収監中(現在46歳)。 44 光市母子殺害事件 O・T 1999年平成11年4月14日 18歳30日 殺人強姦致死など 2人 白昼配水管検査装って上がり込んだアパート一室主婦23歳)を強姦しようとしたが、激しく抵抗されたため、両手絞殺した上で姦淫。さらにその後激しく泣き続け主婦長女生後11か月)を床に叩きつけたり、紐で首を絞めたりして殺害し被害者財布1個を窃取した。 2000年平成12年3月22日 山口地裁無期懲役 2002年平成14年3月14日 広島高裁控訴棄却 2006年平成18年6月15日 最高裁第三小法廷破棄差戻 2008年平成20年4月22日 広島高裁死刑破棄自判2012年平成24年2月20日 最高裁第一小法廷上告棄却 1981年昭和56年3月16日生まれ2019年10月1日時点広島拘置所収監中(現在41歳)。最高裁死刑求刑事件二審無期懲役判決破棄した例は、永山への第一次上告審判決1983年)および福山市独居老婦人殺害事件被告人の上審判決(1999年以来永山第一次上告審判決で「永山基準」が示され以降犯行少年への死刑確定は6人目で、2人殺害した少年としては初の死刑確定。また死刑確定者としては、犯行時の年齢18歳1か月)は最高裁把握している1966年以降では最年少となる。差戻前の一・二審は被告人年齢更生可能性などを理由無期懲役としたが、最高裁は「年齢死刑回避決定的事情とまではいえない」として原判決破棄し、差戻後の控訴審では「極刑回避すべき事情はない」として死刑言い渡された。 45 石巻3人殺傷事件 C・Y 2010年2月10日 18歳7か月 殺人など 2人 2月10日朝、共犯少年17歳殺人幇助罪などで有罪確定)と共謀し交際相手である18歳少女実家宮城県石巻市)に侵入自身との交際反対していた少女の姉(20歳)・友人少女18歳)の2人牛刀刺殺したほか、居合わせた少女の姉の知人男性22歳)にも重傷を負わせ、少女車で連れ去った。また2月4日 - 5日には祖母宅(同県東松島市)で次女暴行加え全身打撲火傷を負わせた。 2010年平成22年11月25日 仙台地裁裁判員裁判)・死刑 2014年平成26年1月31日 仙台高裁控訴棄却 2016年平成28年6月16日 最高裁第一小法廷上告棄却 1991年平成3年7月2日生まれ2019年10月1日時点宮城刑務所仙台拘置支所収監中(現在30歳)。裁判員制度導入2009年5月以降事件当時少年被告人死刑判決言い渡され確定したケースは初。また「永山基準」が示され以降死刑確定した少年死刑囚は7人目

※この「2000年代以降に死刑確定」の解説は、「少年死刑囚」の解説の一部です。
「2000年代以降に死刑確定」を含む「少年死刑囚」の記事については、「少年死刑囚」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「2000年代以降に死刑確定」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「2000年代以降に死刑確定」の関連用語

2000年代以降に死刑確定のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



2000年代以降に死刑確定のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの少年死刑囚 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS