2000年代以降における社民党と共産党の関係
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「社共共闘」の記事における「2000年代以降における社民党と共産党の関係」の解説
21世紀に入ると、憲法改正論議が盛んになった。社会党の後身である社民党と共産党はいずれも日本国憲法第9条などの改憲反対を訴えているが、両党とも、一時国会での議席が単独での党首討論ができない議席数となったので、護憲勢力は不利に陥っている。そのため、同じ護憲派である共社が協力して選挙に臨むべきだとの声が善意の共産党支持者のあいだからも上がるようになった。しかしながら、2000年代の間に社共共闘が行われた選挙区は沖縄2区の照屋寛徳と沖縄県選挙区の糸数慶子のみである。 その中で、2006年1月20日に共産党の新執行部が社民党に挨拶に行った際に、志位和夫委員長が「憲法擁護をすすめるうえで両党の協力関係を発展させることを願っている」と発言。これに対し、社民党の福島瑞穂党首が「院内外での両党の共闘について躊躇いは一切ない」と返答した。こうした経緯で1月23日、志位委員長は福島党首宛に社共共闘に関する会談の申入書を提出、社民党もこれを歓迎する姿勢を示した。しかし、10月の統一補欠選挙の際に、社民党の辻元清美代議士は、政策協定も結ばないまま民主党候補の応援にたち、共産党との共闘の意思を示さなかった。また、民主党との憲法問題に対する態度を棚上げにした選挙協力も行われており、護憲の共同は困難な状況が続いた。2007年新年のNHKインタビューでは福島党首は、「民主党を右にいかせないため」と、1980年代に公明党と共闘するときに使った言い回しを使用して民主党との選挙協力を推進する意思を示していた。民主党が参議院で第1党となった2007年の参議院選挙の結果をうけて、社民党が呼びかけた野党の会談も、民主党・国民新党との3党の会談であり、最初から共産党は対象に入っていなかった。 2009年に執行された第45回衆議院議員総選挙において、社民党は民主党との連立を主張して選挙戦に入った。いくつかの小選挙区では、社民党候補を民主党が推し、民主党候補を社民党が推すケースが見られた。選挙の結果、自民党は歴史的な敗北に終わり、民主党主導の政権交代が実現した。これを受け、民主党と社民党は国民新党も加えて正式に連立政権(民社国連立政権)を発足させた。共産党はこの政権交代に対して、建設的野党の立場を主張し、与党となった社民党とは異なる方向で護憲の立場を貫くことになった。 2014年に執行された第47回衆議院議員総選挙では、翁長雄志沖縄県知事が反基地勢力として「オール沖縄」を結成し、共社が参加。結果沖縄1区の共産党候補である赤嶺政賢が小選挙区で初当選し、沖縄2区の照屋が5選した。沖縄3区、沖縄4区では両党とも独自候補を擁立せずに反基地候補を応援し、当選させた。 2000年代に共産党が社民党系候補を支援した例は徳島県知事選での大田正と沖縄市長選での東門美津子のみであり、社民党が共産党系候補を支援した例は党としては無く、保坂展人が個人的に狛江市長選で矢野裕を応援したのみである(組織としては自主投票、社民党支持者として知られる石坂啓などは自公民推薦の対立候補を支援)。ただし民主党や地域政党の東京・生活者ネットワークなどが共産党と共闘する場合、その中間に位置する社民党も(主導権は大きくないものの)加わる場合が多かった(東京都の市部に多い。武蔵野市、西東京市、小平市、調布市など)。この場合は民主党内の旧社会党・社民連系の候補を共産党が支援する場合が多く、形を変えた社共共闘とも考えられる。2012年東京都知事選挙では、共社が共に宇都宮健児を支持し、都知事選では29年ぶりに共社が同一候補を支援したが、猪瀬直樹に大敗した。2014年東京都知事選挙では、共産党はいち早く宇都宮の推薦を決め、社民党は細川護熙の支援も模索したが、引き続き宇都宮を推薦した。結果は前回より微増したが、やはり舛添要一に敗れた。2014年沖縄県知事選挙では、自民党を離党し普天間飛行場の辺野古移設に反対する翁長雄志を自民党を除名された那覇市議会新風会と共に推薦し、当選させている。那覇市長を決める選挙でも城間幹子を共社と新風会が推薦し、当選させた。 一方、かねてより新社会党から送られていた選挙共闘での窓口設置の申し入れに対して、共産党は、新社会党が党の基本文書のなかで共産党を名指しで批判の対象としていることを理由に2006年1月7日に「共闘の条件は存在しない」と拒否した。但し、地方の首長選挙においては関西(東大阪市長選での長尾淳三、大阪府知事選での梅田章二など)を中心に両党が同一の候補を推薦・支持する事例は多かった。また、長生村においては、共産党は新社会党員である石井俊雄村長への支持を表明していた。
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