1914年冬の戦役とは? わかりやすく解説

1914年冬の戦役

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 07:11 UTC 版)

パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)」の記事における「1914年冬の戦役」の解説

第一次世界大戦中「パーミャチ・メルクーリヤ」が最も活躍したのは、通商破壊作戦偵察任務敵国であるオスマン帝国封鎖任務であったまた、威力偵察部隊機雷敷設艦船の護衛任務、そして主力艦戦隊対潜防衛任務にも従事した緒戦において、「パーミャチ・メルクーリヤ」姉妹艦カグール」と偵察観測・・爆撃用途水上機搭載した通報船「アルマースとともに、 5 隻の戦列艦からなる戦隊「目」となり、黒海艦隊主力形成した終始黒海艦隊にとっては唯一のまともな巡洋艦であった「パーミャチ・メルクーリヤ」と「カグール」は、大戦中 2 度にわたってオスマン帝国巡洋艦「ミディッリ」追撃戦演じあと一歩のところまで追い詰めた第一次世界大戦開戦によって高まった空からの脅威対抗するため、改造されたカネー式 50 口径 75 mm 砲が高角砲として 4 門搭載された。この高角砲には、この年秋に生産開始されたばかりのメールレル(ロシア語版)式砲架採用されていた。 11月19日から11月21日にかけて、黒海艦隊主力アナトリア沖を遊弋した。11月28日から12月2日かけても黒海艦隊主力アナトリア沖を遊弋した。 12月7日には、機雷敷設艦クセーニヤ大公妃」、「ゲオルギー皇太子」、「アレクセイ大公」、それに第 3 艦隊水雷艇隊の艦隊水雷艇が、 5 隻の戦列艦巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびにカグール」、第 1・2 艦隊水雷艇隊の護衛の下、セヴァストーポリ出港した機雷敷設艦ボスポラス海峡口から 70 海里海上617 個の機雷敷設したそのうち 18 ないし 23 個の機雷は、敷設中に暴発した艦隊は、12月10日セヴァストーポリ向かって航海開始した。この日の9時近くに、通報船「アルマース」と第 6 水雷艇隊、蒸気船「オレーク」、「イストーク」、「アートス」、「エールナ」が艦隊合流した蒸気船は、ゾングルダク港内沈めて艦船通行阻害するための石製バラスト搭載していた。12月11日にはゾングルダク沖で封鎖任務帯びた分遣隊戦列艦ロスチスラフ」を頭に分派されたが、夜間の悪天候のため艦船散り散りになってしまった。分遣隊オスマン帝国巡洋艦「ミディッリ」に発見され砲撃受けた11日夜明け、「アートス」は「ミディッリ」の砲撃受けて乗員によって沈められ乗員は「ミディッリ」の捕虜となった。朝のうちに分遣隊は「ロスチスラフ」に集まり、第 6 水雷艇隊を先頭改め作戦行動入った分遣隊午前9時30近くゾングルダク接近したが、不意に 4 基の砲台発見された。「ヤウズ・スルタン・セリム」との遭遇恐れた蒸気船自沈し、作戦頓挫された。分遣隊セヴァストーポリへ戻るため主隊との合流を命ぜられた。艦隊その後11日から12日にかけて、執拗に「ミディッリ」を追撃した。「ミディッリ」はセヴァストーポリ接近し主力艦隊と分かれていた第 6 水雷艇隊に砲撃加えたが、命中しなかった。主力艦隊は「パーミャチ・メルクーリヤ」と「カグール」、それに水雷艇前方繰り出しつつ「ミディッリ」に接近し、およし 100 鏈の距離から戦列艦「エフスターフィイ」、「イオアン・ズラトウースト」、「パンテレイモン」が数回砲撃加えた砲弾はやや目標届かず、その隙に「ミディッリ」は撤退した第一次世界大戦緒戦において、水雷分艦隊艦隊水雷艇巡洋艦はほとんどいつも互いに依存関係にあったが、その他の部隊とも協同作戦に当たる必要が生じた。そのため、1914年12月15日から「戦時の」水雷分艦隊は、ふたつの独立した艦隊司令官直属する巡洋艦戦隊水雷艇戦隊分割された。この巡洋艦戦隊には、旗艦「パーミャチ・メルクーリヤ」、「カグール」、 3 隻の補助巡洋艦、すなわち通報船「アルマース」と「皇帝ニコライ1世」、「皇帝アレクサンドル1世」から構成された。これら巡洋艦は、戦争全期通じて船団護衛偵察襲撃任務でつねに協同任務当たったオスマン帝国軍部輸送船団すべてがイスタンブールから黒海送り込まれるという情報があり、12月21日には 5 隻の戦列艦巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびにカグール」、「アルマース」、 10 隻の艦隊水雷艇をケレンペ岬とトラペゼにかけてのオスマン帝国沿岸部でその船団対す襲撃作戦のため、セヴァストーポリから出撃した。しかし、これは誤報であり、艦隊はこの海域では敵船を見つけることができずに、翌22日にはセヴァストーポリへ向かう帰路就いた同日正午近く斥候任務に就いていた「パーミャチ・メルクーリヤ」スィノプ西方オスマン帝国巡洋艦ハミディイェ」を発見した「パーミャチ・メルクーリヤ」は、麾下艦隊水雷艇「グネーヴヌイ」、「ヂェールスキイ」、「ベスポコーイヌイ」、「プロンジーチェリヌイ」とともにこれを追撃し、残る艦隊全速力でこれに続いた両者のあいだに砲火交わされた。「パーミャチ・メルクーリヤ」は「ハミディイェ」を半ノット上回る速度でこれを追い駆けたが、機関部損傷受けて減速悪天候のためもあって16時近くには追撃中止した戦闘中「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびに艦隊水雷艇は「ハミディイェ」へ命中弾を与えた一方、「ヂェールスキイ」も敵弾を受け、船尾砲が完全に破壊され死傷者出た海戦発生したのと同じ日、「パーミャチ・メルクーリヤ」艦隊水雷艇は、石油積載しイタリア国籍旗を掲げてイスタンブール向かっていた排水量 759 t の蒸気船「マリア・ロセッタ」を拿捕した。「マリア・ロセッタ」は検査のあと、「グネーヴヌイ」の雷撃によって撃沈された。ロシア艦船によって「マリア・ロセッタ」からは 9 名が引き揚げられ、残り救命ボートで岸へ逃れたロシア艦隊は、12月23日任務終了した12月24日には、スィノプ沖から逃れたハミディイェ」が、カフカース沿岸沖を「ミディッリ」を伴って航行しているという情報ロシア艦隊へ齎された。哨戒当たっていた巡洋艦カグール」から斥候任務に就くよう要請する信号受信した「パーミャチ・メルクーリヤ」は、艦隊前方繰り出して任務就いた同日20近くロシア艦隊暗闇の中で縦列組んで進む「ミディッリ」ならびにハミディイェ」と遭遇した。両艦は砲撃開始ロシア艦隊応戦した「パーミャチ・メルクーリヤ」二度目斉射が、「ハミディイェ」の探照燈叩き落した。両オスマン帝国巡洋艦回頭し、砲撃続けながら暗闇の中へ姿をくらました巡洋艦隊の戦闘支援した「エフスターフィイ」は、敵弾浴びて主砲塔損傷受けたその後ロシア艦隊アナトリア沖を巡回し艦隊水雷艇沿岸域接近して諸湾を観察したスィノプからリゼまでの海域で、ロシア艦隊50近くの艀と帆船撃沈した艦隊は、12月29日セヴァストーポリ帰港した

※この「1914年冬の戦役」の解説は、「パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)」の解説の一部です。
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