1914年冬の戦役
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「パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)」の記事における「1914年冬の戦役」の解説
第一次世界大戦中、「パーミャチ・メルクーリヤ」が最も活躍したのは、通商破壊作戦や偵察任務、敵国であるオスマン帝国の封鎖任務であった。また、威力偵察部隊や機雷敷設艦船の護衛任務、そして主力艦戦隊の対潜防衛任務にも従事した。緒戦において、「パーミャチ・メルクーリヤ」は姉妹艦「カグール」と偵察・観測・・爆撃用途の水上機を搭載した通報船「アルマース」とともに、 5 隻の戦列艦からなる戦隊の「目」となり、黒海艦隊主力を形成した。終始黒海艦隊にとっては唯一のまともな巡洋艦であった「パーミャチ・メルクーリヤ」と「カグール」は、大戦中 2 度にわたってオスマン帝国の巡洋艦「ミディッリ」追撃戦を演じ、あと一歩のところまで追い詰めた。 第一次世界大戦の開戦によって高まった空からの脅威に対抗するため、改造されたカネー式 50 口径 75 mm 砲が高角砲として 4 門搭載された。この高角砲には、この年の秋に生産が開始されたばかりのメールレル(ロシア語版)式砲架が採用されていた。 11月19日から11月21日にかけて、黒海艦隊主力はアナトリア沖を遊弋した。11月28日から12月2日にかけても、黒海艦隊主力はアナトリア沖を遊弋した。 12月7日には、機雷敷設艦「クセーニヤ大公妃」、「ゲオルギー皇太子」、「アレクセイ大公」、それに第 3 艦隊水雷艇隊の艦隊水雷艇が、 5 隻の戦列艦、巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびに「カグール」、第 1・2 艦隊水雷艇隊の護衛の下、セヴァストーポリを出港した。機雷敷設艦はボスポラス海峡口から 70 海里の海上に 617 個の機雷を敷設した。そのうち 18 ないし 23 個の機雷は、敷設中に暴発した。艦隊は、12月10日にセヴァストーポリへ向かって航海を開始した。この日の9時近くに、通報船「アルマース」と第 6 水雷艇隊、蒸気船「オレーク」、「イストーク」、「アートス」、「エールナ」が艦隊に合流した。蒸気船は、ゾングルダク港内に沈めて艦船の通行を阻害するための石製バラストを搭載していた。12月11日にはゾングルダク沖で封鎖任務を帯びた分遣隊が戦列艦「ロスチスラフ」を頭に分派されたが、夜間の悪天候のため艦船は散り散りになってしまった。分遣隊はオスマン帝国の巡洋艦「ミディッリ」に発見され、砲撃を受けた。11日の夜明け、「アートス」は「ミディッリ」の砲撃を受けて乗員によって沈められ、乗員は「ミディッリ」の捕虜となった。朝のうちに分遣隊は「ロスチスラフ」に集まり、第 6 水雷艇隊を先頭に改めて作戦行動に入った。分遣隊は午前9時30分近くにゾングルダクへ接近したが、不意に 4 基の砲台に発見された。「ヤウズ・スルタン・セリム」との遭遇を恐れた蒸気船は自沈し、作戦は頓挫された。分遣隊はセヴァストーポリへ戻るため主隊との合流を命ぜられた。艦隊はその後11日から12日にかけて、執拗に「ミディッリ」を追撃した。「ミディッリ」はセヴァストーポリへ接近し、主力艦隊と分かれていた第 6 水雷艇隊に砲撃を加えたが、命中しなかった。主力艦隊は「パーミャチ・メルクーリヤ」と「カグール」、それに水雷艇を前方へ繰り出しつつ「ミディッリ」に接近し、およし 100 鏈の距離から戦列艦「エフスターフィイ」、「イオアン・ズラトウースト」、「パンテレイモン」が数回の砲撃を加えた。砲弾はやや目標へ届かず、その隙に「ミディッリ」は撤退した。 第一次世界大戦緒戦において、水雷分艦隊の艦隊水雷艇と巡洋艦はほとんどいつも互いに依存関係にあったが、その他の部隊とも協同作戦に当たる必要が生じた。そのため、1914年12月15日から「戦時の」水雷分艦隊は、ふたつの独立した、艦隊司令官に直属する巡洋艦戦隊と水雷艇戦隊に分割された。この巡洋艦戦隊には、旗艦「パーミャチ・メルクーリヤ」、「カグール」、 3 隻の補助巡洋艦、すなわち通報船「アルマース」と「皇帝ニコライ1世」、「皇帝アレクサンドル1世」から構成された。これら巡洋艦は、戦争全期を通じて、船団護衛や偵察・襲撃任務でつねに協同で任務に当たった。 オスマン帝国の軍部隊輸送船団すべてがイスタンブールから黒海へ送り込まれるという情報があり、12月21日には 5 隻の戦列艦、巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびに「カグール」、「アルマース」、 10 隻の艦隊水雷艇をケレンペ岬とトラペゼにかけてのオスマン帝国沿岸部でその船団に対する襲撃作戦のため、セヴァストーポリから出撃した。しかし、これは誤報であり、艦隊はこの海域では敵船を見つけることができずに、翌22日にはセヴァストーポリへ向かう帰路に就いた。同日正午近く、斥候任務に就いていた「パーミャチ・メルクーリヤ」はスィノプ沖西方でオスマン帝国の巡洋艦「ハミディイェ」を発見した。「パーミャチ・メルクーリヤ」は、麾下の艦隊水雷艇「グネーヴヌイ」、「ヂェールスキイ」、「ベスポコーイヌイ」、「プロンジーチェリヌイ」とともにこれを追撃し、残る艦隊も全速力でこれに続いた。両者のあいだに砲火が交わされた。「パーミャチ・メルクーリヤ」は「ハミディイェ」を半ノット上回る速度でこれを追い駆けたが、機関部に損傷を受けて減速、悪天候のためもあって16時近くには追撃を中止した。戦闘中、「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびに艦隊水雷艇は「ハミディイェ」へ命中弾を与えた。一方、「ヂェールスキイ」も敵弾を受け、船尾砲が完全に破壊され死傷者が出た。海戦が発生したのと同じ日、「パーミャチ・メルクーリヤ」と艦隊水雷艇は、石油を積載しイタリア国籍旗を掲げてイスタンブールへ向かっていた排水量 759 t の蒸気船「マリア・ロセッタ」を拿捕した。「マリア・ロセッタ」は検査のあと、「グネーヴヌイ」の雷撃によって撃沈された。ロシア艦船によって「マリア・ロセッタ」からは 9 名が引き揚げられ、残りは救命ボートで岸へ逃れた。ロシア艦隊は、12月23日に任務を終了した。 12月24日には、スィノプ沖から逃れた「ハミディイェ」が、カフカース沿岸沖を「ミディッリ」を伴って航行しているという情報がロシア艦隊へ齎された。哨戒に当たっていた巡洋艦「カグール」から斥候任務に就くよう要請する信号を受信した「パーミャチ・メルクーリヤ」は、艦隊の前方へ繰り出して任務に就いた。同日20時近く、ロシア艦隊は暗闇の中で縦列を組んで進む「ミディッリ」ならびに「ハミディイェ」と遭遇した。両艦は砲撃を開始、ロシア艦隊も応戦した。「パーミャチ・メルクーリヤ」の二度目の斉射が、「ハミディイェ」の探照燈を叩き落した。両オスマン帝国巡洋艦は回頭し、砲撃を続けながら暗闇の中へ姿をくらました。巡洋艦隊の戦闘を支援した「エフスターフィイ」は、敵弾を浴びて主砲塔に損傷を受けた。その後、ロシア艦隊はアナトリア沖を巡回し、艦隊水雷艇は沿岸域に接近して諸湾を観察した。スィノプからリゼまでの海域で、ロシア艦隊は 50 隻近くの艀と帆船を撃沈した。艦隊は、12月29日にセヴァストーポリへ帰港した。
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