1914年災害被災と復旧工事
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「富士川橋梁 (東海道本線)」の記事における「1914年災害被災と復旧工事」の解説
1914年(大正3年)8月29日の朝方から始まった豪雨により富士川は増水し、上り線の第8橋脚が洗掘されて上流側に傾いたが、トラス桁の落橋は免れた。下り線の第8橋脚もわずかに移動するといった被害を受けた。下り線はこの日の11時30分頃に通過した第17列車、上り線は12時頃通過の第24列車を最後に運転を打ち切り、減水後に復旧工事を行って、9月1日14時頃から下り線を利用した単線運転を行って応急復旧した。 本格的に復旧するにあたり、傾斜した上り線第8橋脚は撤去し、別の位置に新たな第8橋脚を建設して、第8径間には支間154フィート6インチ(約47.09メートル)、第9径間には支間255フィート7.5インチ(約77.91メートル)のいずれも単線下路曲弦プラットトラス桁が架設されることになった。また合わせて、他の7連の桁も新しく製作したものに交換した。新たに架設された桁はいずれも設計活荷重がクーパーE45で、将来的な改軌を念頭においたものであった(日本の改軌論争)。この際に、下り線のみでの単線運転を続けながら一度に第8橋脚の新設とトラス桁の架設をしたのか、一時的に仮桁を利用して複線運転をしながら桁の交換作業を徐々に進めたのかはよくわかっていない。第8・第9径間以外の7連の桁について、1915年(大正4年)使用開始、第8・第9径間の2連については1917年(大正6年)使用開始と記録されている。
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