1914年災害被災と復旧工事とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 1914年災害被災と復旧工事の意味・解説 

1914年災害被災と復旧工事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:32 UTC 版)

富士川橋梁 (東海道本線)」の記事における「1914年災害被災と復旧工事」の解説

1914年大正3年8月29日朝方から始まった豪雨により富士川増水し上り線の第8橋脚洗掘されて上流側に傾いたが、トラス落橋免れた下り線の第8橋脚わずかに移動するといった被害受けた下り線はこの日の1130分頃に通過した17列車上り線12時通過の第24列車最後に運転を打ち切り減水後に復旧工事行って9月1日14時頃から下り線利用した単線運転を行って応急復旧した。 本格的に復旧するにあたり傾斜した上り線第8橋脚撤去し別の位置新たな第8橋脚建設して、第8径間には支間154フィート6インチ(約47.09メートル)、第9径間には支間255フィート7.5インチ(約77.91メートル)のいずれも単線下路曲弦プラットトラス架設されることになった。また合わせて、他の7連の新しく製作したものに交換した新たに架設されはいずれ設計活荷重クーパーE45で、将来的改軌念頭にいたものであった日本の改軌論争)。この際に、下り線のみでの単線運転を続けながら一度に第8橋脚新設トラス桁の架設をしたのか、一時的に利用して複線運転をしながら桁の交換作業徐々に進めたのかはよくわかっていない。第8・第9径間以外の7連のについて、1915年大正4年使用開始、第8・第9径間の2連については1917年大正6年使用開始記録されている。

※この「1914年災害被災と復旧工事」の解説は、「富士川橋梁 (東海道本線)」の解説の一部です。
「1914年災害被災と復旧工事」を含む「富士川橋梁 (東海道本線)」の記事については、「富士川橋梁 (東海道本線)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「1914年災害被災と復旧工事」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1914年災害被災と復旧工事」の関連用語

1914年災害被災と復旧工事のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1914年災害被災と復旧工事のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの富士川橋梁 (東海道本線) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS