高尾考とは? わかりやすく解説

高尾考

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 09:04 UTC 版)

高尾太夫」の記事における「高尾考」の解説

燕石十種』本「高尾考」を基本に、諸伝を合わせていくと、歴代次のうになる初代 - 後に尼となって心と号し日本堤西方寺に庵を結んで念仏三昧過ごしていたが、万治3年正月25日1660年3月6日)、「寒風もろくも落つ紅葉かな」の一句残して没したという。後述2代目混同されている。 2代目 - 万治高尾仙台高尾・道哲高尾とも。11代のうち最も有名で多く挿話があるが、その真偽不明である。陸奥仙台藩主伊達綱宗の意に従わなかったために、三叉船中惨殺されたというのはその一つである(伊達騒動参照)。塩原出身幼名はあき。幼い頃木の葉化石湯治場売り家計を助けていた。そこで三浦屋主人働きぶりを見初められて引き取られる万治3年1660年19歳病没墓所東京都豊島区巣鴨西方寺(元は新吉原近く浅草日本堤にあったが、昭和初期移転)。また、中央区日本橋箱崎町には高尾太夫頭蓋骨祭神にしているとされる高尾稲荷神社」が現存している。大身旗本島田直とさらなる財力にものを言わす伊達とが争った結果高雄太夫島田選んだ、という話も伝わる。この話では太夫万治3年死去し島田領地であった現在の埼玉県坂戸市永源寺葬られ島田はその菩提弔った、と伝わる。 3代目 - 水谷高尾水戸家為替御用達勤めていた水谷六兵衛落籍されてから、六兵衛下人の平右衛門68歳)と不義をして出奔し、後に浄瑠璃語り半太夫の妻となったが、再び家を出て牧野駿河守側女となっているうち、中小姓河野平馬と通じてまたまた出奔しその後深川髪結い女房となり、さらに役者の袖岡政之助に嫁し最後に神田三崎町元結売の妻となったが、この家も不縁終わったとみえ、ある年、大音寺前の茶屋鎌倉屋の前で倒死していたとつたえられる4代目 - 浅野高尾。3万石浅野壱岐守により落籍5代目 - 紺屋高尾。駄染(だぞめ)高尾とも。神田お玉が池紺屋九郎兵衛嫁した。駄染め呼ばれる量産染色手拭製造し手拭当時遊び人の間で流行したと伝わる。のち3人の子産み80歳余まで生きたとされる古典落語紺屋高尾」のモデル6代目 - 榊原高尾越後高尾とも。寛保元年1741年)、播磨姫路藩15万石当主榊原式部大夫榊原政岑)に落籍され、国元へ従って行った。政岑は高尾姫路城内西御屋敷に住まわせた。しかし、折しも徳川吉宗による倹約令質素倹約進められている中、政岑の贅沢な振る舞い吉宗怒りを買い、要地姫路から、僻地であり懲罰転封先として知られる越後高田への転封命じられた。高尾太夫高田への転封同行し越後高田城住んだ高田転封数年で政岑は死亡その後側室のお岑の方に呼ばれて江戸戻り上野池の端榊原家下屋敷住んだ剃髪して連昌院と号し菩提弔いつつ過ごし天明9年1789年1月19日30余歳(79歳説有)で病死した、とされている。墓所東京都豊島区南池袋本立寺7代目 - 徳川譜代名門榊原家播磨国姫路藩主・榊原政岑身請けされるも、豪遊などを咎められ時の将軍徳川吉宗政策反するとして榊原強制隠居処分となった三浦屋四郎左衛門高尾七代相続次第 七代榊原高尾 延享寛延のころという。上述6代目と被るため混同されている可能性がある。 8代目9代目は伝わるところが少なく詳細不明10代目 - ある大身大名落籍され、その領地である播磨姫路に従っていったが、84歳高齢安らかな往生遂げたという(「高尾考」では、この10代目6代目榊原高尾とが混同されているという)。 11代目 - 寛保元年1741年)、ある貴顕落籍され廓を出る時、大門盛り塩をする他にも目に余る沙汰があったので物議を醸し吉原ではそれ以来、この名を憚って用いなかったと伝える。 この他にも、上記2代目3代目の間に「西條高尾幕府御用蒔絵師西条吉兵衛身請け)」が入るとする、西條高尾ではなく最上さいじょう高尾」であるなどの話があり、他にも石井高尾六指高尾子持ち高尾小袖高尾采女が原高尾などの名が伝わり代々数えるには諸説ある。全体6代説、7代説、9代説、11代説、などがあるが、他にも13代説や16代説もある。これらで語られる高尾太夫中には史実では実在せず、創作語られたもの」を実在として数えている可能性がある。 なお、現存する錦絵文芸映像などフィクションの世界では、伊達兵庫島田髷多数かんざし差した文化文政期江戸後期)の遊女装束高尾登場するが、実際宝暦年間江戸中期)には三浦屋廃業しており、同時期に吉原では太夫消滅している。よってフィクションで高尾太夫表現時代的そぐわないのである。 また花魁という呼称宝暦以降の高級遊女に対してものであり、太夫花魁表現するのは誤りである。

※この「高尾考」の解説は、「高尾太夫」の解説の一部です。
「高尾考」を含む「高尾太夫」の記事については、「高尾太夫」の概要を参照ください。

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