開店から閉店までとは? わかりやすく解説

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開店から閉店まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 18:40 UTC 版)

チェイスンズ」の記事における「開店から閉店まで」の解説

1930年ブロードウェイミュージカル『ファイン・アンド・ダンディ(英語版)』などでジョー・クック(英語版)と共演していたヴォードヴィリアンのデイヴ・チェイスン(Dave Chasen)は、ラジオ進出していたクック別れて映画俳優目指しハリウッドへ向かった。しかし思惑どおりにはいかず、友人映画監督フランク・キャプラ勧められて、1936年12月13日ウェスト・ハリウッド飲食店開いた。チェイスンがキャプラの家のキッチン作りはじめたとされるチリの味は確かなのだったという。当初は「チェイスンズ・サザーン・ピット・バーベキュー(Chasen's Southern Pit Barbecue)」と呼ばれており、6つテーブルカウンターチリスペアリブハンバーガーなどを提供する店だった。 チェイスンとは友人で『ザ・ニューヨーカー』の創始者編集者であるハロルド・ロス(英語版)が、仕事仲間共同開業資金3,500ドル融資した当初からチェイスンが映画俳優になるのは「望み薄」と考えながらも、放っておけけない性分ロス仕事斡旋奔走させられたあとであり、現実的な道に進めさせたかった最初は豆畑の敷地内にある掘っ建て小屋に過ぎなかったが、チリの味ですぐに有名になり、ハリウッドスターの間で人気店となったキャプラ軌道に乗ったレストラン運営のために、銀食器貸し与える必要が生じたこのころ常連チャールズ・リンドバーグがいた。 1939年になり、イギリス去ったアルフレッド・ヒッチコックハリウッド到着すると、当時新婚だったクラーク・ゲーブルキャロル・ロンバード夫婦は、真っ先ヒッチコックチェイスンズ招いてもてなし、彼を渡米第一作となる『レベッカ』の監督へ導いた。店の居心地大層気に入ったヒッチコックは、ブース番号『2』死去するまでの40年以上にわたって常設とし、木曜には決まってディナー予約入れて訪れテーブル居眠りをするのが恒例となっていた。ブースの壁には愛娘のパトリシア・ヒッチコック(英語版)の写真飾ってあった。 実業家飛行家ヒューズ・エアクラフト創設者であるハワード・ヒューズは、1939年にトランスコンチネンタル・アンド・ウエスタン・エアーを買収した際、J・ウィラード・マリオットの「ホット・ショップ」が機内食として納入していた箱入りサンドイッチ納得がいかず、陶器盛り付けられチェイスンズ温かい料理提供するメニュー切り替えたかねてより映画プロデューサーでもあったヒューズとチェイスンの取引続きチェイスンズ1947年11月2日スプルース・グース初飛行を祝うためのパーティー会場になった晩年精神変調きたして不遇な生涯終えたヒューズであったが、彼が隠士となってからもチェイスンズ人前に姿を見せ異例の場所の一つになっていたのではないかと店側は考えていた。テニスシューズ履きで訪れるなど店の厳格なドレスコード従わずとも、彼だけは特別に許可されたという。彼の資金力に物を言わせ奇行後述ウォーターゲート事件への関与に繋がる。 キャロル・バーネット1967年から1978年まで続いたバラエティ冠番組『キャロル・バーネット・ショー(英語版)』の収録後金曜日夜にゲスト出演者チェイスンズディナー招いていた。 チェイスンズ客層変わったところでは、ある夜、連邦捜査局FBI初代長官ジョン・エドガー・フーヴァーが客として来ているのを見かけると、他のテーブルには大物ギャングミッキー・コーエン居たなどという話が残されている。フーヴァーかなりの常連だったとされ、ある時、チェイスンが手にしたグラスから採取した指紋磁器プリントし本人へのクリスマスプレゼント贈ったことがあったという。 チェイスンズではクレジットカード小切手(checks)での支払い受け付けていなかった。ロサンゼルス地元紙を渡り歩いたベテランジャーナリストで、1958年からはロサンゼルス・タイムズコラムニスト知られていたジャック・スミスは、晩年ウェスト・ハリウッド飲食店でこの実状何度か出くわした回想し1992年連載中コラム取り上げたスミスはこれを「ネアンデルタール人慣習」とこき下ろしているが、チェンスンズでも同様であった会計時に気付いた際、現金での支払い代わりに社会的認知度の高い顧客単純に勘定書check)にサインして請求書郵送してもらえば済むシステムがあるとわかって感激したといい、次の来店からは既存顧客としてエリート仲間入り果たすのだと称賛していた。 その後業態衰退していく中で、1995年4月1日に店は閉じられた。閉店後は後述レーガン誕生日会のための役割終えると、アート作品絵画ピアノ食器から調理器具まで、あらゆる物品店内宴会場並べられオークションかけられた。 チェイスンズ閉店に伴い、かつての常連業態衰退についてロサンゼルス・タイムズ紙上語ったところによると、ハリウッド・リポーターベテランであるジョージ・クリスティは、夫と比べて妻には常連客気持ち推し量った粋な計らいをするスキルがなく、オーナーが妻に代わったのを機に客のほうから廃れていったのだとした。一方で紙上にて、掘っ建て小屋開店当時からの常連映画監督ジョージ・シドニーは、アメリカではヨーロッパレストランのような伝統よりも常にトレンドを追うが、時代変わっていく中でハリウッド若者たち英国ディナーのような格調高い概念から離れ、「ただ食べることだけ」を目的とするようになったのだと述べている。

※この「開店から閉店まで」の解説は、「チェイスンズ」の解説の一部です。
「開店から閉店まで」を含む「チェイスンズ」の記事については、「チェイスンズ」の概要を参照ください。

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