金龍寺_(山梨県身延町)とは? わかりやすく解説

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金龍寺 (山梨県身延町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/21 13:53 UTC 版)

金龍寺
所在地 山梨県南巨摩郡身延町帯金1920
位置 北緯35度23分00.9秒 東経138度27分20.9秒 / 北緯35.383583度 東経138.455806度 / 35.383583; 138.455806座標: 北緯35度23分00.9秒 東経138度27分20.9秒 / 北緯35.383583度 東経138.455806度 / 35.383583; 138.455806
山号 帯雲山
宗派 日蓮宗
創建年 慶安3年(1650年
開山 了説院日授
法人番号 7090005005764
金龍寺
金龍寺 (山梨県)
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金龍寺(きんりゅうじ)は、山梨県南巨摩郡身延町帯金にある日蓮宗の寺院。山号は帯雲山。旧本山は大野本遠寺、小西法縁。身延町指定文化財の木喰作・日蓮聖人像を所蔵する。

歴史

  • 慶安3年(1650年)了説院日授を開山に帯金(現在の日朝堂付近)に建立された。

文化財

  • 日蓮聖人像 江戸時代の廻国聖・木喰作の木喰仏。一躯。像高は30.8センチメートル。寛政十二庚申歳(1800年)正月十二日成就の背銘があるが、寛政13年(1801年)木喰行道83歳の作とみられる。背銘によれば「日蓮大師像」。諸国を廻国し造仏活動を行っていた木喰は寛政12年10月25日に故郷の丸畑へ帰り、享和2年(1802年)まで甲斐に滞在し丸畑に四国堂を建立し「四国堂諸仏」を造像している。木喰は甲斐において四国堂諸仏以外にも造像活動を行っており、金龍寺の日蓮聖人像はこの時期に作られたと考えられている。木喰が立正大師日蓮を刻んだ像はこの一体以外は未確認。昭和44年(1969年9月12日身延町の文化財に指定された。

参考資料

  • 『みすきちゃんと行こう 身延町の文化財ガイド』
  • 日蓮宗寺院大鑑編集委員会『宗祖第七百遠忌記念出版 日蓮宗寺院大鑑』大本山池上本門寺 (1981年)
  • 『木喰展 生誕290年~庶民の信仰・微笑仏』山梨県立博物館
  • 全国木喰研究会『微笑佛』第18・19合併号(2012年

テレビ

  • 日経スペシャル「ガイアの夜明け」(テレビ東京、2003年1月5日放送)

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