金龍寺 (安曇野市)とは? わかりやすく解説

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金龍寺 (安曇野市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/17 15:21 UTC 版)

金龍寺
所在地 長野県安曇野市豊科高家5825[1]
位置 北緯36度15分47秒 東経137度54分42秒 / 北緯36.26306度 東経137.91167度 / 36.26306; 137.91167座標: 北緯36度15分47秒 東経137度54分42秒 / 北緯36.26306度 東経137.91167度 / 36.26306; 137.91167
宗派 臨済宗妙心寺派
法人番号 3100005006475
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金龍寺(きんりゅうじ)は 長野県安曇野市豊科高家にある臨済宗妙心寺派の寺院[1][2]山号は乗護山。

概要

鎌倉時代に遡る起源をもつとされる寺であるが、現在の金龍寺は、1878年内務省から再興を許可されたものである。宗教法人としての登記は1952年11月25日付でおこなわれている[3]

敷地は、戦国時代安曇郡一帯を治めた豪族仁科氏の支族真々部氏の城館跡であるが、少し高台になっていることや堀の痕跡が残っている他は、往時を偲ぶものはない[2]

大門参道付近には、石造物が多く残されており、特に1842年に造られたとされる多数の観音石像、通称「百体観音」が知られている[4][5]

寺では、だるまが製作されており[6]、例年1月上旬に「だるま市」が開催されるほか[7]、常時だるまが販売され、だるま寺とも称される[2][5]

浅沼稲次郎の石碑

境内には、浅沼稲次郎の「日々是好日」の石碑がある。これは、浅沼が刺殺される一月余り前の1960年9月4日に、この寺を会場にして講演会をおこなった際に揮毫した文字を刻んだもので、浅沼の死後、講演を聞いた地域の人々が建立したものである[2]

脚注

  1. ^ a b 金龍寺(臨済宗妙心寺派)”. 吉祥. 2019年2月1日閲覧。
  2. ^ a b c d 安曇野市豊科郷土博物館 (2006年9月24日). “安曇野の秋”. 安曇野市豊科郷土博物館. 2019年2月1日閲覧。
  3. ^ 長野県所轄宗教法人名簿” (PDF). 長野県. p. 1. 2019年2月1日閲覧。
  4. ^ 金龍寺の百体観音”. 長野県観光機構. 2019年2月1日閲覧。
  5. ^ a b 安曇野風来亭 (2013年1月7日). “金龍寺”. ビューポイントあづみの/安曇野百選プロジェクト/JOHO. 2019年2月1日閲覧。
  6. ^ “誕生祝い「パンダだるま」 安曇野の金龍寺で製作”. 市民タイムス. (2012年7月7日)  - 信州まつもとFB交流会(matsumotoFB)
  7. ^ 安曇野イベント情報”. 国営アルプスあづみの公園. 2019年2月1日閲覧。

参考文献

外部リンク




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