超高性能バイクの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 06:28 UTC 版)
「スーパースポーツ」の記事における「超高性能バイクの歴史」の解説
1990年代初頭、オートバイメーカー各社は最高速300km/hをクリアするバイクを開発する目標を持っていた。こうした車両設計においては最高出力や直進安定性が優先されていた。世界最高速度を追求する、あるいは高速での快適な走行性能を高める、といったツアラー的なコンセプトが大排気量車では主流であった。(この種のバイクは後にメガスポーツと呼ばれるようになる) しかし、1992年に絶対的な最高速よりも軽快な走行性能を全面に打ち出したホンダ・CBR900RRが発売された。これがスーパースポーツの最初である。この当時のオートバイ各誌は、900ccというレースのレギュレーションに合致しない、すなわち元となる「レーサー」が存在しないこの車両に対しレーサーレプリカという名称は用いれず、124ps、乾燥重量185kgというスペックに対向車種として他社のどの車両をあてがうべきか頭を悩ませた。代表的な同時期の近い排気量の車種として挙げられるスズキのGSX-R1100の143ps、226kgや、ツアラー的なカワサキのZZ-R1100の147ps、228kg、CBR1000Fの135ps、235kgという数値は対抗車種として挙げるにはあまりに車両の方向性が異なっていた。ドゥカティの1992年モデルの888SPSは(185kg、120ps)でスペックは同等だが約360万円であった。過去ではコンセプトである750ccクラスの車体にリッターエンジンとしては、初期のGSX-R1100(197kg、130ps)に相当する。 翌1993年にあっても各社の世界最高速度競争は過熱し、スズキはGSX-R1100を水冷化し155ps、231kgへモデルチェンジ、カワサキはZZ-R1100をD型147ps、233kgへモデルチェンジ。また、トライアンフからトライアンフ・デイトナ1200が147ps、228kgという数値で発売され、この競争に参加した。しかし、ホンダはCBR1000Fを据え置きし参加することもなかった。また、ホンダは750ccにより軽快な車両を標準販売しておらず、他社は販売していたこともあり、CBR900RRのようなコンセプトの車両はホンダとドゥカティぐらいであった。 1994年、CBR900Rはモデルチェンジするも諸元は据え置かれ、基本コンセプトを維持された。この年カワサキからZX-9Rが発表され、排気量としては対向車種として合致したが、139ps、215kgと対抗するような数値ではなく、装着されたグラブバーなどもスポーツ走行を前面に押し出した車両というには不自然な装備であった。 1996年、各社から大型スポーツバイクのジャンルで新車が発表され、方向性を見ることができた。ヤマハからYZF1000Rが発表され、145ps、198kgと車両重量が設計段階において重要性を増したことがうかがえたが、同時にモデルチェンジされたCBR900RRの128ps、183kgと比較すると意識はするものの、対抗するとまで拮抗した仕様ではなかった。また、スズキから発売されたスズキ・GSX-R750は128ps、179kgとCBR900RRと数値の上では拮抗していたが、車両はWSBベース車両であったため、対抗することを念頭にした車両設計とは言いがたかった。同様にZX-7RRも122ps、200kgと改造を前提にしたホモロゲーション仕様であった。 1997年、ホンダはCBR1100XXを発売し、世界最高速度戦線へと復帰し、最高速度時速300kmへ肉迫した。このことから、CBR900RRは最高速を争うために作られた車両ではなかったことがわかる。スズキから発売されたTL1000Sは125ps、187kgと数値の上では非常に拮抗していた。しかし、翌年発売されるWSBベース車両であるTL1000Rの存在や、ハーフカウルであるといった差異があった。 1998年、レプリカでもなく、最高時速を競う車両でもない宙に浮いたコンセプトであったCBR900RRに対抗する形でヤマハからヤマハ・YZF-R1、カワサキからZX-9R(C型)が発売された。4型CBR900RRの130ps、180kgという仕様に対抗しZX-9Rは143ps、183kg。YZF-R1に至っては150ps、177kgという意欲的なスペックを引っさげこれに正面から対抗した。 1999年、レーサーレプリカの筆頭であった250cc2ストローク車両は排ガス規制を受け各社が販売を終了、スポーツ戦略の牽引役として750cc4気筒、1000cc2気筒のレーサーベース車両や、900から1000ccのこれらの車両への期待が高まり、各社は競うように開発を重ねていった。2000年、ホンダはホンダ・RVFからホンダ・VTR1000 SP-1/2へとWSBベース車両を世代交代、排気量では同程度であったものの、やはり改造を前提に設計されたベース車両の側面が強く、136ps、199kgといった仕様であった。スズキはこの年にGSX-R750をフルモデルチェンジ、141ps、166kgと無改造であっても拮抗しうるベース車両として発売し、翌2001年にこの車両をベースにストロークを伸ばしたGSX-R1000を発表、160ps、170kgとCBR900RRとYZF-R1を数値の上で圧倒した。数値という明確な指標の存在は優劣を明確にさせ、各社の開発競争は熾烈を極めていった。2002年、この年を境にオートバイレースの最高峰であるロードレース世界選手権はMotoGPと名称を改め、トップカテゴリーであったGP500クラスは4ストロークに有利なレギュレーションへと変更がなされ、参加チームはこぞって4ストロークエンジンを採用した。そしてワークスチームなど、レーサー車両のイメージをフィードバックさせる車両は250cc2ストローク車両から990ccの排気量制限に近いこれらの車両へと変化し、ロードレースとの関連性が深まっていった。 2004年、WSBのレギュレーションが気筒数を問わず1000ccへと変更され、国産メーカー各社はベース車両を750cc4気筒や1000cc2気筒から全社1000cc4気筒へと世代交代、CBR900RRが発売された1992年にはレギュレーションに合致しない車両であったはずが、12年の時を経てベース車両になる結果となった。こうした結果、スーパースポーツというジャンルで呼ばれ競い合い、ロードレース世界選手権の意匠を模したレプリカ仕様が発売され、レーサーベース車両になるという非常に複雑なジャンルとなってしまった。 また、従来であれば欧州での免許区分から製造されていた600ccクラスの車両であったが、1997年からスーパースポーツ世界選手権が開催され、これら車両のスポーツ性能に対する需要が高まり、600ccクラスの車種にもスーパースポーツと呼んで差し支えないほどの走行性能を有する車種が増えた。 これらの車種は現在でも、車体の軽量化とコンパクト化や、エンジンの高出力化がモデルチェンジごとに進み続けている。2011年にはカワサキ・ニンジャZX-10Rが、排気量999ccのクラスで初めて200psを超える、200.1psを達成した。スーパースポーツを日本で購入することは可能であるが、日本仕様として販売される車種は騒音規制に対応するために最高出力が抑制されている。
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