詳細:起源と影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/15 08:04 UTC 版)
一説によると、アメリカには1940年代後半頃からすでにこのような同性愛者が存在したとされる。第二次世界大戦中からのオートバイの普及とその乗用コスチュームによるスタイルで、俳優マーロン・ブランドが主演し、暴走族を描いた初の映画『乱暴者(あばれもの 原題:The Wild One)』での白いTシャツ、黒革のライダースジャケット(革ジャン)とブルー・ジーンズのファッション・スタイルがそれに当たり、これを原型および基本としている。特にその衣装が示す色「黒・白・青」は、ハードゲイ=ゲイ・レザーマンたちのシンボルカラーでもある。 1950年代頃から、このようなスタイルを元に、ポルノ・コミックや絵画を発表し、性器のエロティックなデフォルメや、筋骨隆々とした身体、極端に男性性を強調したコスチュームをまとったキャラクターを登場させ、アメリカの男性同性愛者に大きな影響を与えたゲイ・アーティストに、前述の「トム・オブ・フィンランド」がおり、彼によるレザー・ファッションの同性愛者たちの絵画は、戦後日本のカストリ雑誌『風俗奇譚』でも時折、紹介されていた。 1969年に勃発した「ストーンウォールの反乱」以降、同性愛者の権利獲得のための動きは急進的となっていったが、そのような流れの中で、1970年代後半頃、トム・オブ・フィンランドが描いたキャラクターと同様の男性性を極端に表現したレザー・ファッションでゲイスポットに出かけることは、「男性同性愛者は皆女装をする」という、ステレオタイプな異性愛者らの一般認識への揶揄を込めた仮装によるムーブメントでもあったようである。同様異種の仮装には「ドラァグ・クイーン」があり、こちらは女性性を極端に表現したものである。これらは、仮装によるカリカチュアであって「そんな男もそんな女も居ない」というアイロニーに満ちたものだったようで、当の男性同性愛者たちも普段は一般的な男性異性愛者と変わりない身なりで生活を送っていることが専らであったようである。 性的に旺盛で無節操であるというイメージは、1979年に製作されたウィリアム・フリードキン監督の映画『クルージング』によって広められた。ニューヨークに実際にあった、マニアックなゲイ達が集う地下クラブでの撮影シーンを含むこの映画の上映にあたり、当時のアメリカの同性愛者の団体から、同性愛者のイメージを悪化、偏向させるものなどとして抗議や上映禁止運動も起こった。しかし、この映画に対する同性愛者団体の動きは、同性愛者の中にもSM愛好者やフェティッシュな指向を持つ者に対して無理解と差別意識があることを浮き彫りにする結果にもなったようである。 また、ゲイ雑誌『DRUMMER(ドラマー)』によって1979年からシカゴでの開催が始まった「International Mister Leather(インターナショナル・ミスター・レザー)」コンテストでは、1989年度の大会で、Tony DeBlaseによって設計された『Leather Pride flag(レザー・プライド・フラッグ)』が発表された。この旗は、少数者の中のさらなる少数者であるSM愛好者やフェティッシュな指向を持つハードゲイ=ゲイ・レザーマンの尊厳を示すもので、これは現在「黒・白・青」のシンボルカラーのストライプと「赤いハート」の図柄によっている。「赤いハート」は日本では可愛らしい模様と受け止められがちだが、キリスト教文化圏においては専ら「情熱」や、血を流すキリストの「聖心」「受難」のシンボルであり、性的少数者であるハードゲイ=ゲイ・レザーマンたちがかつて受け、また今も受け続けている「受難」をも想起させるものである。なお「インターナショナル・ミスター・レザー」コンテストはその後も毎年開催されている模様である。 1980年にはニューヨークの巨大クラブ『The Saint』でハードゲイ=ゲイ・レザーマン達の祭典『The black party』が催され大成功となったが、ほぼ同時期の流れとしてHIV/AIDSが社会的な大問題となっていった。予防方法も不明だった当時の事情に加えて、前出の主な同性愛団体も含めて、ハードゲイ=ゲイ・レザーマンのムーブメントを後押しする状況ではなかったためか、このイベントは以降2006年まで開催されることはなかった。その後2009年現在、『The black party』はThe Saintの人気イベントとして開催が継続されている模様である。 1990年代に入ると、トム・オブ・フィンランドの作品の展示会が、故郷フィンランド、フランスなどで催され、またニューヨーク近代美術館に所蔵されるなど、彼が描いたキャラクターとその世界観に対する評価はエロティカ、芸術として認知されるようになる。こうしたポルノグラフィに対する社会的評価の逆転には日本の「春画」の前例がある。 ハードゲイ=ゲイ・レザーマンの好むSM色の強いエロティシズムの表現は、アメリカにおいて「ソドミー法」(Sodomy Law)との絡みもあり、地下ビデオとして製作されるものがほとんどであったが、1994年には、全編この男性性を極端に表現したハードゲイ=ゲイ・レザーマンの生みの親とも言えるトム・オブ・フィンランドの世界観をテーマに、性的指向の多様性を賛美し、ポルノグラフィの有用性を謳ったゲイ・ポルノムービー『ワイルド・ワンズ=The Wild Ones』が製作される。題名は映画『乱暴者』原題『The Wild One』から採られている。これもまた州法により未公開部分もあるものの、画期的な作品のひとつであることは間違いないようである。 また、そのコスチュームやアクセサリーが「ヘヴィメタル」「パンク・ロック」などのファッションにも影響を与えたとの説もある。ただし、これらファッションやアクセサリーには、ヨーロッパ伝統の馬車具や馬具、貞操具、拷問道具などにその原型を求められる。また帽子や上着などは米国のものよりもヨーロッパの軍服などのデザインに近いものが多く見られるため、これら全てが起源を同じくする「レザー・サブカルチャー」に含まれると受け止めるのは間違いであろう。 LGBTポータルプロジェクト LGBT
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