総当り回数とは? わかりやすく解説

総当り回数

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 14:37 UTC 版)

セントラル・リーグ」の記事における「総当り回数」の解説

1952年フランチャイズホームタウン制度採用後ホーム・アンド・アウェー方式で、原則それぞれ半分ずつの試合を行う。 年度試合内訳備考リーグ戦交流戦1950140 20×7 - 1951-1952120 20×6 1953-1962130 26×5 1963-1965140 28×5 1966-1996130 26×5 1997-2000135 27×5 ※1 2001-2004140 28×5 2005-2006146 22×5 6×6 2007-2014144 24×5 4×6 2015-2019143 25×5 3×6 ※1※2 2020120 24×5 - 2021-143 25×5 3×6 ※1※2 ※11997年 - 2000年2015年 - 2019年リーグ間の対戦)は総当り奇数回となるため、対戦カードどちらか一方ホームゲーム1試合多く行う形式前者14試合後者13試合)である。なお1試合増加分のホームチームについては、2年単位隔年入れ替わりである。 ※22015年以降セ・パ交流戦3回総当たりとなるため、対戦カードごとに隔年ホームチーム入れ替える引き分けに関する扱い 引き分け再試合制度実施年:1962年1966年 - 1968年1990年 - 2000年 引き分け0.50.5敗で勝率計算した年:1956年 - 1961年 上記規定上の対戦回数であるが、諸事情により公式戦一部中止した年度がある。 1950年日本シリーズ日程関係のため一部試合中止1951年広島カープ存続問題から第一節3月29日 - 4月6日)の参加見送りこの期間の対広島戦中止また、同年10月20日より予定されていた日米野球日程関係のため同月9日ペナントレース打ち切り1953年読売ジャイアンツアメリカ遠征のため第一第三節途中3月28日 - 4月9日)まで不参加で、かつ日本シリーズ進出したため、また同年10月17日より開催のアメリカメジャーリーグ遠征チームとの交流試合日程都合上読売ジャイアンツ国鉄スワローズ戦5試合残してペナントレース打ち切り2004年選手会球団合併凍結などを求めたプロ野球ストライキ9月18日19日決行したため、同日予定されていた全試合中止2020年新型コロナウイルス感染拡大の影響開幕が約3ヶ月延期となり、シーズン日程再考交流戦中止となるなど一部日程変更され当初143試合から120試合試合数を削減

※この「総当り回数」の解説は、「セントラル・リーグ」の解説の一部です。
「総当り回数」を含む「セントラル・リーグ」の記事については、「セントラル・リーグ」の概要を参照ください。


総当り回数

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 08:18 UTC 版)

パシフィック・リーグ」の記事における「総当り回数」の解説

1952年フランチャイズホームタウン制度採用された後はホーム・アンド・アウェー方式で、原則それぞれ半分ずつの試合を行う。 1950年 - 1951年20120試合 1952年18回(予選:全チーム108試合+4回(決勝:上位4チーム12試合 ※1 1953年 - 1955年20回 (1953年120試合1954年1955年:140試合1956年 - 1957年22回 (1956年154試合 1957年132試合1958年 - 1960年26130試合 1961年28回 140試合 1962年26130試合 1963年 - 1964年30150試合 1965年28回 140試合 1966年 - 1996年26130試合 1997年 - 2000年27135試合 ※2 2001年 - 2003年28回 140試合 2004年27135試合 ※2 2005年 - 2006年20回+交流戦(対セ・リーグ6チーム)6回 136試合 2007年 - 2014年24回+交流戦(対セ・リーグ6チーム)4回 144試合 2015年 - 2019年2021年 - 2022年25回+交流戦(対セ・リーグ6チーム3回 143試合 ※2、3 2020年24120試合 ※11952年度については決勝リーグ進出チーム予選合せて120試合戦った。また最終順位変動をきたす恐れのある試合について再試合をするという取り決めがあった。※21997年 - 2000年2004年2015年 - 2019年2021年リーグ間の対戦総当り奇数回となるため、対戦カードどちらか一方ホームゲーム1試合多く行う形(1997年 - 2000年2004年14試合2015年以降13試合)である。なおその1試合増加分のホームチームは、2004年除いて2年単位隔年入れ替え制である。※3:2015年以降セ・パ交流戦3回総当たりであるため、対戦カードごとに隔年ホームチーム入れ替える引き分けに関する扱い 引き分け再試合制度実施年:1952年1955年1959年 - 1960年1962年1966年 - 1968年 引き分け0.50.5敗で勝率計算した年:1956年 - 1958年1961年 上記規定上の対戦回数であるが、諸事情により公式戦一部中止した年度がある。 1951年同年10月20日より開催日米野球に伴う日程上の都合同月7日限りペナントレース打ち切り2004年選手会球団合併凍結などを求めたプロ野球ストライキ9月18日19日決行したため、同日予定されていた全試合中止2020年新型コロナウイルス感染拡大の影響開幕が約3ヶ月延期となり、シーズン日程再考交流戦中止となるなど一部日程変更され当初143試合から120試合試合数を削減

※この「総当り回数」の解説は、「パシフィック・リーグ」の解説の一部です。
「総当り回数」を含む「パシフィック・リーグ」の記事については、「パシフィック・リーグ」の概要を参照ください。


総当り回数

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/18 21:18 UTC 版)

プロ野球1リーグ時代の優勝チーム・試合方式一覧」の記事における「総当り回数」の解説

1936年 備考下記参照 1937年 春季8回、秋季7回 1938年 春季秋季各5回(但し春季8チームから秋季9チームとなり試合数は変化1939年 121940年 131941年 121942年 151943年 121944年 7回 1946年 151947年 171948年 201949年 19引き分け再試合制度実施年:1940年秋、1941年1949年 なお、1937年秋季リーグ東京巨人軍東京セネタースが、雨天中止1試合消化になっているが、年度総合優勝戦の日程都合上消化のままでリーグ戦打ち切りとなった延長イニング制限 戦前1942年まで日没までイニング無制限 1943年のみ9回までとし、延長戦はなし 1944年1946年12回、1947年13回、1948年14回、1949年15回まで

※この「総当り回数」の解説は、「プロ野球1リーグ時代の優勝チーム・試合方式一覧」の解説の一部です。
「総当り回数」を含む「プロ野球1リーグ時代の優勝チーム・試合方式一覧」の記事については、「プロ野球1リーグ時代の優勝チーム・試合方式一覧」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「総当り回数」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「総当り回数」の関連用語

総当り回数のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



総当り回数のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのセントラル・リーグ (改訂履歴)、パシフィック・リーグ (改訂履歴)、プロ野球1リーグ時代の優勝チーム・試合方式一覧 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS