紙本著色フランシスコ・ザビエル像とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 紙本著色フランシスコ・ザビエル像の意味・解説 

紙本著色フランシスコ・ザビエル像

主名称: 紙本著色フランシスコ・ザビエル像
指定番号 1974
枝番 0
指定年月日 2000.06.27(平成12.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書
員数 1面
時代区分 江戸
年代
検索年代
解説文:  天文十八年(一五四九鹿児島来航し初め日本キリスト教伝えたスペイン人イエズス会士フランシスコ・ザビエルFrancisco de Xavier 一五〇六-五二年)の名は、その肖像画である本図とともに広く知られているザビエルは二年三か月の間、西日本各地のほか京都や堺にまで赴き精力的に布教した後、中国渡り広東郊外の上川島【シャンチョワン】で没した滞在期間短かったが、キリスト教布教基盤築き西欧日本への宣教熱を呼び起こしたこの後日本におけるキリスト教改宗者急増し、やがて豊臣秀吉あるいは徳川幕府によるキリスト教弾圧強化さらには鎖国に至る大きな歴史変動発端となったという点で、わが国歴史上きわめて深刻な影響及ぼした西洋人であるといえる
 聖人肖像は、西洋出版された著作物の銅版画挿絵類を手本としているとみられているが、燃え心臓をもつことなど他のザビエル像にはない図像特徴をもっていることが注目される
 純然たる油絵ではなく基本的に日本画材料によるとみられるが、絵の表面には照りがあり、顔料接着には膠【にかわ】に油性の液を混ぜて用いていると推測されるザビエル天使の顔では、まず暗色塗り、これに明色重ねてモデリングするという西洋画的な描法とっていることがX線撮影によって確認されるまた、文字金色表した箇所金泥金箔用いず鉛白黄土混ぜた顔料黄金色を出すという、西洋画独自の技法採用しているとみられる肖像のすぐ下に「S・P・FRACISCUSXAVERIVSSOCIETATISV」と記され、その下の黄土色地の区画には、万葉仮名で「瑳夫羅(落)怒青周呼山別論麼 瑳可羅綿都 漁夫環人」(サフラヌシスコ ザベロンも サカラメント漁夫環人)と書かれている。さらに、Iを十字架図案化した「IHS」印と、「環人」のあとに捺された「耶省可」と読める印がある。以上の解釈について諸説あり、制作者問題含めていまだ定説をみない。制作期についても同様で、比較すべき基準作がないため特定しづらいが、本図西洋画技法則りながら、両手表現等形式化認められること、純粋な油彩画ではないことなどは、本図制作時期イエズス会活動盛期過ぎたころであることを思わせる一方禁教令厳しさを増すなか、一六二〇年ころから、ザビエルへの崇敬がむしろ盛んになりつつあったことが宣教師書簡から知られる。これらのことから、本図制作期はザビエル列聖日本に報された一六二三年の前後ころといちおう想定されよう。
 本図大正九年一九二〇)に大阪茨木市山間部清渓村千提寺旧家、東藤次郎宅に伝来していたの中からマリア十五玄義図やキリスト磔刑像等のキリシタン遺物とともに発見されたもので、この発見契機として同地域からキリシタン遺物あい次いで発見されている。同地域はキリシタン大名として著名な高山右近所領地であり、江戸時代初期においてもおそらく最も熱心なキリシタン存在したとみられる地域であることは看過できない
 わが国歴史上重要な人物であるザビエル描いた肖像画として著名な本図は、江戸時代初期のキリスト教礼拝画としても貴重であり、近世初期における西洋画技法による遺品として絵画史上でも重要な作品である。


このページでは「国指定文化財等データベース」から紙本著色フランシスコ・ザビエル像を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から紙本著色フランシスコ・ザビエル像を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から紙本著色フランシスコ・ザビエル像を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「紙本著色フランシスコ・ザビエル像」の関連用語

紙本著色フランシスコ・ザビエル像のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



紙本著色フランシスコ・ザビエル像のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2024 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS