篤子內親王とは? わかりやすく解説

篤子内親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 13:37 UTC 版)

篤子内親王(とくしないしんのう、康平3年(1060年) - 永久2年10月1日1114年10月30日))は、平安時代後期の皇族、皇后(中宮)。第71代後三条天皇の第4皇女。母は滋野井御息所藤原茂子藤原能信養女)。賀茂斎院堀河天皇中宮[1]。同母兄に白河天皇


  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 41頁。
  2. ^ 扶桑略記』寛治7年2月22日条(「関白従一位之養子」)
  3. ^ 陽明門院の立場からすれば、内親王の入内は摂関家出身の后妃が立つ可能性を減らすことになる。反対に藤原師実(摂関家)には当時天皇の后妃にすべき実娘が存在せず、篤子内親王の養父となり実際に後見を行うことで外戚化を図ったと考えられる。その一方で白河上皇は内親王の入内によって幼少の堀河天皇の政治的地位の安定を期待していたとみられている。
  4. ^ 『玉葉』承安5年7月26日条


「篤子内親王」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

篤子內親王のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



篤子內親王のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの篤子内親王 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS