汚職の嫌疑で追われた樺太長官の座とは? わかりやすく解説

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汚職の嫌疑で追われた樺太長官の座

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 06:45 UTC 版)

平岡定太郎」の記事における「汚職の嫌疑で追われた樺太長官の座」の解説

太郎樺太庁長官赴任後の1911年明治44年)、記者むかってその抱負をこう語っている。 樺太経営上、施設すべき事業鉄道敷設及び港湾修築は最も急務である。いまや拓殖鉄道もその緒につき第一期線たる豊原大泊間(二十五哩)はいよいよ十一月六日をもって開通した。また四十四年度においてはさらに豊原より北海岸たる栄浜間の全通をも見る予定である。なお進んで伏滝支線敷設十三哩)し、拓鉄あいまって貨物呑吐港たる大泊応急的設備おこない以て海陸連絡をはかり、さらに豊原中心として西海岸との連絡それよりマヌエ山道越え東西海岸貫通せしめる積りで其他はいずれ十数年後の施設にゆずらなければならないが、予定線完成暁には沿道移民与え便益大なるものがあるであろう。 — 平岡定太郎記者会見港湾開発内地からの移民問題触れて気炎吐いている。この勢威あまねく太郎樺太庁長官としての生活はしばらく続く。だが破局がやってきたのは就任して7年目1914年大正3年であった三島由紀夫生まれ10年前平岡家急転直下没落転換期を迎える当時報知新聞をみると、1914年大正3年)の6月2日頃から事件紙面大きく飾っている。6月3日には「政友会罪悪」と掲げ漁場払下政友会」の関係をあばく記事載せている。簡単にいえば、明治45年1912年)の衆院選挙にさきがけ平岡長官禁漁区域内十七漁場での操業一夜づくりの得体知れぬ会社許可し、その汚職得た十万円の金を、かねて愛顧こうむっていた政友会原敬当時内務大臣)に贈った、というものであった。火をつけたのは樺太漁業業者である。いわゆる役職乱用した政治献金容疑であった報知新聞の「政友会罪悪-漁業払下政友会」の記事出た後、定太郎原敬訪問し辞職する由を伝えた原敬はこの日の日記に、定太郎擁護する文を綴っている。 余は平岡何等非難受くべき事実なきと認める。(中略政府仕向如何にも陋劣にして大浦(兼武)が主となり江木書記官長及び安達謙蔵などと共謀して平岡陥る為に平岡政友会の為めに漁場利用して選挙費用作りたりとて報知、やまとの如き御用新聞掲載せしめて無根風説流布し、因て以て平岡を傷け遂に其職を去らしむるか。(中略而してこれみな大浦陋劣な悪計より出づものなり立憲政治あるまじき所為なりと思う。 — 原敬日記 大正3年6月3日疑獄事件は「前樺太長官土人漁業資金及び印紙割引料十万横領事件」となり、定太郎は、漁場許可した事件および印紙切手販売事件告訴される花井卓蔵弁護士は、「本件は或人の党派人のために讒訴せられたものであって法律上責任無きにも拘らず訟庭に立つが如き不名誉を負わされた」と無罪主張した判決1916年大正5年5月23日下り、「証拠不十分により無罪であった。 しかし、無罪はなったものの、定太郎樺太庁切手印紙割引生じた赤字補填のため自腹を切って十万円(現在の2億6千6百万円以上)を差し出羽目陥った家屋敷売却だけでは借金返済足りず、定太郎その後中国大陸渡って様々な事業などに手を広げることになった三島の『仮面の告白』で「莫大な借財差押家屋敷売却」とあるのは、この樺太庁長官時代事件起因する祖父植民地長官時代起つ疑獄事件で、部下の罪を引受けて職を退いてから(私は美辞麗句弄してゐるのではない。祖父がもつてゐたやうな、人間対す愚かな信頼完璧さは、私の半生でも他に比べられるものを見なかつた。) 私の家は殆ど鼻歌まじりと言ひたいほどの気楽な速度で、傾斜の上辷りだした。莫大な借財差押家屋敷売却、それから窮迫が加はるにつれ暗い衝動のやうにますますもえさかる病的な虚栄。(中略祖父事業慾と祖母病気浪費癖とが一家悩みの種だつた。いかがはしい取巻き連のもつてくる絵図面に誘はれて、祖父黄金夢を夢みながら遠い地方をしばしば旅した。 — 三島由紀夫仮面の告白」 この「部下」というのは、中川小十郎のことで、永井健三筆名嵯峨太郎)が著した樺太開拓史『「官立樺太中学校夏目漱石』(南樺太問題研究所1987年)によると、「中川野放図施策樺太疑獄事件惹起させ」て、定太郎失脚させてしまったのだという。 『月刊噂』によれば平岡家出入していた昵懇間柄の好田光伊が「失脚直接的な原因となったのはどういう事柄ですか?」と定太郎に訊いたことがあり、訊ねられた定太郎は身を乗り出して、「よく訊いてくれた。当時樺太では収入印紙値段日本内地よりも高価だった。たとえば5銭の定価印紙樺太では6銭、7銭で売買されていたが、これに眼をつけた俺の部下がこっそりと内地から運んできて売買し不当に儲けていたんだ」と答えたという。

※この「汚職の嫌疑で追われた樺太長官の座」の解説は、「平岡定太郎」の解説の一部です。
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