汚職事件で逮捕
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1995年(平成7年)3月、同市のゴルフ場開発にからみ収賄容疑で逮捕された。豊田は1990年の市長選当選直後の同年12月下旬、支援者と共謀して暴力団幹部を介し、支援者宅で前述の不動産会社グランディーから現金5,000万円を受け取った。さらに1991年2月中旬にもグランディーから暴力団幹部宅で現金1億円を受け取った。これら計1億5,000万円の収賄容疑で起訴され、同年5月21日、市長を辞任した。 豊田は裁判で「事実無根」と全面否認。「検察官は法廷で私の目すら見られない」と述べ、強気の姿勢を見せたが、最高裁で懲役2年6月、追徴金7500万円の実刑判決が確定し、刑に服した。 2007年(平成19年)6月10日に行われた北茨城市長選挙に立候補。民主党の支持を受けた前市議の滑川光仁、自営業の松本健一郎ら2候補を破り、市長職に返り咲いた(豊田:10,874票、滑川:9,347票、松本:6,094票)。投票率は65.67%。6月18日、市長就任。 2011年(平成23年)の市長選は自民党と公明党の推薦を受けて立候補し、通算4期目の当選。 2015年(平成27年)5月、通算5期目の当選。同年6月、茨城県市長会長に就任。 2017年(平成29年)5月10日、数ヶ月後に迎える茨城県知事選挙につき、豊田が会長を務める茨城県市長会は現職の橋本昌の推薦を決定。また豊田自身も橋本の選対本部長に就任した。茨城県町村会も橋本の推薦を決めていたが、8月2日、高萩市長の小田木真代、古河市長の針谷力、ひたちなか市長の本間源基、笠間市長の山口伸樹、坂東市長の木村敏文、利根町長の佐々木喜章の6名の市町村長は対立候補の大井川和彦の支援を表明した。豊田は報道陣の取材に対し「機関決定をしたのに、なぜあえて表明までするのか」と不快感を示した。選挙は8月27日に執行され、橋本は落選。翌日の8月28日、「知事選敗北の責任を取る」とし、市長会長職の辞意を表明した。 2019年(令和元年)6月、6期目の当選を果たす。
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汚職事件で逮捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 15:50 UTC 版)
1996年(平成8年)9月4日、豊橋東口駅前広場整備に伴う電気設備工事の入札に関し、談合容疑で豊橋電機工事株式会社の高橋慶全社長ら業者4人が逮捕された。同社は、1995年11月21日に行われた入札において、同工事を3億7,590万円(消費税込み)で落札していた。高橋慶全は自身の長男であったため、9月9日開催の市議会定例会で各会派の市議から関係を追及された。高橋は「ちょうど4日の晩、報道関係から、疑惑によって息子が逮捕されたということを知っているかと問われた。私は大きな鉄のおので頭をたたかれたような思いで、談合というものは一切ないと信じた」と答弁した。 ところが同年9月27日、ゼネコンの元名古屋支店長から豊橋競輪場のメインスタンド建設工事にからむ指名に便宜を図ってもらうために慶全と共謀して数百万円の収賄を受けた疑いで逮捕された。9月30日に辞職願を提出し、10月2日付で市長を辞職した。起訴を経て、同年12月25日に名古屋地方裁判所で懲役2年4ヶ月、執行猶予4年、追徴金400万円の判決が言い渡された。 2007年1月8日、パーキンソン病のため豊橋市の成田記念病院で死去。83歳没。
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