機構と使用法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 15:21 UTC 版)
1411年ごろに湾曲金属棒が製造できるようになる以前のタッチホール式手砲は片手で腰に構え、反対の手で熱した針を薬室につながる穴にあてて点火し、発射していた。硝酸カリウムをつけて燻焼した2、3フィートほどのマッチ(火縄)と、それを留め金で固定するロック機構によって薬室に点火するマッチロック式が登場したのは1475年ごろである。ロック機構のレバーはトリガーにつながっていて、使用者がトリガーを引くと火縄がついたロックレバーが倒れて前方の火皿を叩く。火皿に乗っていた火薬が火縄によって点火すると、飛び散った火花が穴を通って薬室内の火薬に点火し、これを爆発させて弾が発射される。初期の蛇型マッチロック機構はクロスボウとかなり似ており、そのロックレバーはトリガーから後ろに伸びてゆるやかに上方へ湾曲し、火縄を銃床と平行に固定するようなつくりになっていた。16世紀後半までには、ほとんどの国でロックレバーの形が変わり、銃床からほぼ垂直に伸びあがる、より短い形状になった。この形態は日本のほとんどの火縄銃でも用いられているものである。ただし、フランスでは大部分の銃兵が17世紀までクロスボウ式の蛇型マッチロック機構アーキバスを用い続けた。 マッチロック式によって銃兵は両手で正確に狙いをつけられるようになったが、銃の扱いが面倒になったという面もある。例えば、暴発を防ぐために、火薬や弾を銃に込めている間は火縄をロックから外しておく必要があった。また火縄の火が消えてしまう事態に備えて火縄の両端に点火しておくことがあったが、そうすると今度は火縄を両手で扱わなければならなくなる。あまりの手順の煩雑さのため、1607年にはオランダのヤーコブ・デ・ヘインが28手順の指南書をまとめ、出版している。またそれに先立つ1584年には、明の戚継光が兵の訓練のために11段階の手順(1)銃を掃除 2)火薬を銃口から流し込む 3)火薬を突き固める 4)弾を入れる 5)弾を押し込む 6)火薬と弾を止める紙を当てる 7)紙を押し込む 8)火皿を覆う火蓋を開ける 9)点火薬を火皿に流し込む 10)火蓋を閉じて火縄を固定する 11)合図を聞いたら火蓋を開け、狙いをつけ、構えて撃つ)を歌う歌を編じている。16世紀の技術では、弾の装填に普通1分を要し、どれほど理想的な状況でも20秒はかかった。 オスマン帝国や中国、日本で一斉射撃戦術が確立されると、アーキバスの軍事的な汎用性や効果は飛躍的に向上した。またこの戦術は兵士の立場も変えた。それまでアーキバスを持ち運び撃つだけだった兵は、一斉射撃のために各列が順番に発砲し装填するという機械的な行動を求められるようになった。大砲の一斉射撃戦術は、早くも1388年に明の砲兵隊が実施しているが、マッチロック式のアーキバスの一斉射撃は、1526年のモハーチの戦いでオスマン帝国のイェニチェリが行ったのが最初である。その次にこの戦術を開発したのは、戚継光による軍事改革が行われた明(16世紀中盤)と、戦国時代の日本(16世紀後半)であった。倭寇討伐で活躍した戚継光は、その実践に基づいた方策を記した『紀効新書』の中で次のように述べている。 およそ鳥銃(アーキバス)というものは、賊と遭遇したときに拙速に撃つのを許してはならず、一遍にことごとく撃つのを許してもならない。賊が近づいたときに銃の装填が間に合わず、往々にして人の命を失う過ちにつながるからである。今後、賊が百歩の距離の内に入った時には、竹笛が吹かれるのを聞いて、[銃兵が]部隊の前に展開し、各一隊(哨)が各一部隊(隊)の前につき、[隊長が]一発発砲するのを聞いて、それで[各人が]発砲することを許し、ラッパを一回吹くごとに一斉射撃をし、訓練したとおりに陣形の後ろに下がるようにせよ。もしラッパが連続して鳴りやまない時には、尽きるまで一斉射撃を繰り返し、[その時には]層に分かれる必要はない。弩の射手は、鳥銃が発射され終えた後、賊が六十歩の距離の内に至った時に発射するもので、銃に続いて矢を撃つことが許されるものであり、許可が出るまで撃たせてはならない。 — 紀効新書 ヨーロッパでは、ナッサウ=ディレンブルク伯ウィレム・ローデウェイクが、古代ローマの軍学者アエリアヌス・タクティクスの反転行進戦術を参考に、マッチロック式アーキバス部隊を途切れることなく射撃させる方法を理論化した。彼は1594年12月8日に従兄のオラニエ公マウリッツに宛てた手紙の中で、次のように説明している。 私は、マスケット兵やその他の銃兵が、ただ発砲するだけでなく戦場でもそれを命令に従って効果的に行うための訓練法を発見したのです(すなわち、随意射撃や遮蔽物を利用した射撃とは違うのです)。まず最初の横隊が一斉射撃すると、彼らは訓練で学んだとおりに後方へ行進します。すると第二の横隊が前に出る、もしくはその場にとどまったまま、最初の横隊と同様に一斉射撃をするのです。同じ流れを複数の横隊が繰り返し、最後の横隊が射撃を終えるころには最初の横隊が装填を済ませていますから、また同じことを続けることができるのです。 — ウィレム・ローデウェイク・ファン・ナッサウ こうした連続して一斉射撃を行う戦術が開発されてからは、アーキバスの効率は劇的に向上し、支援武器の立場から、近世型の戦争の主役を占める存在へと昇格した。 マッチロック式に対抗して、火縄でなく鋼輪を回転させて火花を出し火薬に点火するホイールロック式の銃は1505年の時点で既に登場しているが、こちらは生産コストが高かったため、一部の精鋭部隊やピストルとしての使用に限られた。 16世紀中盤にスナップハンス式が、17世紀前半にフリントロック式が登場したが、この頃には小火器を指す言葉が「アーキバス」から「マスケット」に移行していた。そのため、基本的にフリントロック式の銃をアーキバスと呼ぶことはない。 アーキバスの発砲の流れ アーキバスを支柱に固定する 狙いを定め、トリガーをひく ロックに固定された火縄が点火薬に着火する 銃身内の発射薬に点火し、弾が射出される。後に多量の煙が残る
※この「機構と使用法」の解説は、「アーキバス」の解説の一部です。
「機構と使用法」を含む「アーキバス」の記事については、「アーキバス」の概要を参照ください。
- 機構と使用法のページへのリンク