村の伝承とは? わかりやすく解説

村の伝承

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 02:42 UTC 版)

大野の撫斬」の記事における「村の伝承」の解説

元禄9年7月24日1696年8月21日)、大野集落の南に流れ古川接す清兵衛宅(勘四郎宅という説もあり)付近で、久保田藩士の黒澤市兵衛という一人武士釣りをしていた。そこへ舟に満載した市蔵仁蔵という兄弟通りかかったところ、の端が黒澤釣糸ひっかかった黒澤烈火の如く怒ったので、兄弟平謝り謝ったが、黒澤おさまらない兄弟が「逃がしたお魚悔しかったなら、わし等二人で早速獲って進ぜます」と言うと黒澤はかえって逆上して下賎の身二つ一刀の下に叩き斬ってやる」と言った。すると兄弟は「百姓下賎とは解せぬお言葉お武家様が頂戴します御禄は一体誰が進上するお思いなさる」と返す。 3人はついに喧嘩となるが、武士といえど棹を持った複数相手では分が悪く黒澤二人勢い押されて堰にはまり、意識失ってしまった。二人黒澤死んだ思い放置してそのまま帰宅した黒澤気絶したのでなく、勝てぬとわかって死人装っていたという伝承もある)。黒澤夜になってほうほうの体帰宅し、事の顛末同僚達に訴えた自分の身によほど有利な訴えしたものらしく、同僚から同情得た黒澤報復企てた内々に4ヶ月わたって犯人を捜したが、村民達は口を割らなかった。武士たちはこの主人全部斬罪処する他はないと私刑企て古川沿いの低所急造小屋建てた10月12日1696年11月6日)、取り調べの筋があると集落家々伝えて、家の主人呼び出した取り調べ偽って前方ムシロをまくして一人一人小屋中に入れた。小屋中には穴が掘られていて、穴の傍らには抜刀武士数人かたまっていた。入って来た百姓無言のまま突き刺し倒れ所を後方の刀がばっさりと首をはね、そのまま穴の中に落とした小屋の外にいた家族が、外に出てきた武士尋ねたところ「罪人のかどで撫で斬りいたした」と答える。家族泣き叫びつつ悲報伝えるべく走った羽織袴駆けつけ肝煎工藤七郎左衛門が「拙者一言挨拶もなく、百姓咎人として引き立てるのは筋道が立ちません。御領主の命による御取り調べでしょうかと言うとみなまで言わぬうちに武士工藤斬り殺した殺されたのは全部22であった久保田城下の梅津邸から斬殺思いとどまらせる為の急使送られたが、使者武士達に出会った時は既に斬殺終え引き上げて来るところであった梅津家はこの地域地頭で、黒澤市兵衛主人であった使者が「梅津より取り止めご沙汰と言うのに対し「もう切上終わった」と武士達は答えた。この「切上」が由来となり、現地集落を「切上」と呼ぶようになったという(ただしこれは単にの端を意味する地名伝承関連付けられた可能性がある)。 伝説によれば、同じ家より2名殺されたとか、老婆事変予知し倅を小屋によこさなかった家が1軒あるという話もある。また斬殺の際、返り血浴びるのを避け為にの穂に束を巻いたというので、では藁箒使用嫌ったという。また、怨念悩まされ村人夜に外に出るのを恐れ便所家の中造った伝えられている(当時民家多くは、便所は家の外にあった)。には当時より遺族によって営まれてきた郷念仏講称するものがある。当初月一輪番の家で行われたものの、春秋2回となり、命日陰暦10月12日回向続けている。 過去帳には斬殺された農民法名記録されていて、22人の他に1人女性がいる。この女性は斬殺悲観し悶絶死したものであろうとされる22人は罪人とされたため、菩提所入れることは遠慮され、現在の東光寺の南隅に如来堂という庵寺を建て位牌安置した以来、同寺は庵住と言われていた。明治初年川尻村にあった東光寺廃寺になるとき、仁井田村有志譲り受け1886年明治19年)に如来堂敷地を包む位置現在の東光寺建立したその時位牌不動産は寺に移管された。 石塔は百回忌になる寛政7年10月12日1795年11月23日)に建てられたものである。元は大野集落墓地にあったが、墓地新設されるため移動された(現在は供養塔の脇にある)。五輪塔150回忌弘化2年1845年)に建てられたもので、高さ7尺である。摩耗して刻まれた字ははっきりとしない。 撫斬の場所ははっきりしないが、大野村新中島付近俗称やぶれの地点であると異口同音伝えられている。明治初年頃、その付近の採土地であり、時折同地から多数人骨発掘されたという。 大野村は、久保田藩重臣である梅津半右ェ門家開創で、百姓梅津家の百姓であった古川は元は大野川と言い雄物川下流雄物川開鑿後主流を失っていた。フナクキ釣り場で、城下から釣りやってくる武士の出入り多く中には乱暴を働く者もいた。地元ではこれらの釣り人ダンボ呼び長い間摩擦絶えなかった。

※この「村の伝承」の解説は、「大野の撫斬」の解説の一部です。
「村の伝承」を含む「大野の撫斬」の記事については、「大野の撫斬」の概要を参照ください。

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