大伴黒主の墓という伝承について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 08:43 UTC 版)
「夫婦塚 (富田林市)」の記事における「大伴黒主の墓という伝承について」の解説
山中田の北側に位置する北大伴・南大伴は、日本書紀の敏達天皇12年に大伴糠手子連らが日羅の水手を置いたとされる石川大伴村の伝承地である。 いずれの地誌も字夫婦塚の夫婦塚が、何故大伴黒主の墓であるかという由緒を記していない。近代以降の地誌はいずれも大日本史歌人列伝や和漢三才図絵を引き、黒主は近江の人であるとして、別の大伴氏等の墳墓ではないかと推定している。ただし、富田林市史では石川大伴村についての記述はあるが、大伴黒主墓もしくは夫婦塚については触れられていない。
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