未使用のトンネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/13 05:24 UTC 版)
1978年5月にタイムズ紙は、「数年前に、長く交通問題に苦しんできたクイーンズの住民たちのために40マイル(約64キロメートル)の新しい地下鉄路線として始まったものが、15マイル(約24キロメートル)に削減され、何年も予定より遅れており、当初の推定より2倍以上の費用がかかる…、この路線は1フィート(約30センチメートル)あたり10万ドルかかり、とても短く、あまり多くない利用者にしか使われない」と記した。この記事では、クイーンズの急行線計画は「早くても1988年」に延期されたとし、進捗しているのは63丁目線のノーザン・ブールバードまでで、これに加えて「アーチャー・アベニューに沿った短区間」であるとした。63丁目線の開業時期は1985年を見込んでいた。この計画は、クイーンズ・ブールバード線の利用者が、クイーンズ・プラザ駅で降りてノーザン・ブールバードの新しい駅まで1ブロック歩いて再び地下鉄に乗るだろうという考えに依存しているものであった。当局は、この乗換は1日11,000人に達すると見積もっていた。 1980年10月までに、当局は両方のプロジェクトを停止し、既存の地下鉄網の維持に費用を使うと決定した。この時点までに、アーチャー・アベニュー線のプロジェクトは1984年に完成が見込まれており、63丁目線は1985年であった。タイムズ紙は、この時点で63丁目トンネルの下層部は、「当局はこのトンネルが使われることはないだろうと知っていながら」、依然として建設中であるとした。メトロポリタン・トランスポーテーション・オーソリティ (MTA) 会長のリチャード・ラヴィッチは、工事を止めるのは不可能か、後続の地下鉄区間の建設が非現実的になるくらい高くつくと述べた。この区間は、上にある地下鉄トンネルを支えるという構造上の理由で、完成させるべきであるとした。これは、「どこにもつながらないトンネル」であると表現された。 1979年にニューヨーク市交通局と運営委員会は新路線計画の再検討を開始した。クイーンズ交通代替検討が実施され、18の計画を評価し、そのうち5つの計画をさらに詳しく評価するべきであるとした。MTAは1983年の春に地域コミュニティに5つの案を公表した。提案は、この路線をそのままにしてロングアイランドシティに終点を置くものから、1960年代の当初の計画通り63丁目線をロングアイランド鉄道本線につなぐというものまでさまざまで、後者は当時で費用が10億ドルに達すると推定された。21丁目-クイーンズブリッジ駅では、地下鉄網への接続ができなければ、1984年の時点での利用客数推定は1時間当たり220人であるとされた。連邦都市交通局とMTAは1984年5月に、代替評価/概略環境影響明細として公式にこれらの評価を行った。MTAは、この路線をより有用なものとするため、4つのオプションを検討していた。 クイーンズ急行線: 63丁目線をロングアイランド鉄道本線に沿ってフォレスト・ヒルズ-71番街駅まで延長する。1998年に完成し、9億3100万ドルかかる。これは1968年のプログラム・フォー・アクションの計画において提案されていた当初案である。これはまた、E系統とF系統の急行の旅客と輸送力の双方を増やす唯一の案であるとMTAは考えていた。ノーザン・ブールバードに提案されていた駅では、クイーンズ・プラザ駅とつなぐ乗換コンコースにより、各駅停車、急行、そしてバイパス線の列車の間で乗換ができることになっていた。 ノーザン・ブールバードの下でクイーンズ・ブールバード線の緩行線に接続する。この案はもっとも早い1993年までに完成し、もっとも距離が短く(29丁目とノーザン・ブールバードの間で1,500フィート、約450メートル)、2億2200万ドルともっとも安価であるとされた。しかし、地下鉄網でもっとも混雑しているクイーンズのE系統、F系統は、こうした接続ではまったく輸送力を増強することができず、63丁目線は線路容量の3分の1ほどしか列車を走らせられず、加えて路線の将来の延長可能性を減じてしまうことになる。さらに、G系統の列車を、クイーンズ・ブールバード線の緩行線に直通して運行していたのを、コート・スクエア駅で打ち切る必要が出る。この案に似たものが最終的に採用され、F系統は混雑緩和のために63丁目線経由に変更され、G系統はコート・スクエア駅以北で打ち切られることになった(下記参照)。 63丁目線をサニーサイド車両基地(英語版)経由でロングアイランド鉄道モントーク支線に乗り入れ、ジャマイカのアーチャー・アベニュー線下層に直接向かう。クイーンズのモントーク支線は現状貨物輸送に用いられており、旅客輸送は1998年に廃止されたが、この案では改良と電化工事が実施されることになっていた。モントーク支線は、121丁目駅のすぐ西のルファーツ・ブールバードでBMTジャマイカ線に合流し、BMT側のアプローチ線を使ってアーチャー・アベニュー線に入ることになっていた。ジャマイカ線はブルックリンのクレセント・ストリート駅までに短縮され、残りの区間はバスで置き換えられる。新しい駅がサニーサイド・ヤード内のトムソン・アベニュー、フレッシュ・ポンド・ロード(かつてのフレッシュ・ポンド駅(英語版)の位置)、ウッドヘイブン・ブールバード(かつてのリッジウッド駅(英語版)の位置)に設けられることになっていた。モントーク支線の廃止されたリッチモンド・ヒル駅(英語版)を改良し、プラットホームを延長して地下鉄の営業に用いる構想であった。ロングアイランド鉄道は、深夜には貨物運行のために線路を専有する。この計画案は5億9400万ドルかかり、1997年までに開業するとされたが、計画自体に踏切を除去するための新たなオーバーパスやアクセス道路が含まれていたのにもかかわらず、モントーク支線沿線住民が路線上に複数ある踏切で通過列車の増加や危険性を恐れて反対した。 サニーサイド・ヤード内に設ける新たな地下鉄・ロングアイランド鉄道のターミナル駅トムソン・アベニューまで路線を延長する。クイーンズ・プラザ駅まで歩いて乗換ができるとともに、モントーク支線経由でローズデール駅(英語版)やクイーンズ・ビレッジ駅まで設定する新たなロングアイランド鉄道の列車に乗換できる。ロングアイランド鉄道は改良され、立体交差化と電化されることになっていた。リッチモンド・ヒル駅は新たなロングアイランド鉄道の列車のために改造されることになり、ホリス駅とクイーンズ・ビレッジ駅は2面の対向式プラットホームから1面の島式プラットホームに改築されることになっていた。この計画は4億8800万ドルかかり、完成は1995年で、これもまたモントーク支線沿線の住民に反対された。 クイーンズ中央部にあるグレンデール(英語版)、リッジウッド(英語版)、ミドル・ビレッジ(英語版)といったコミュニティは、その傍を走るモントーク支線にかかわる提案すべてに強く反対した。最終的に賛同が得られた計画は、2億2200万ドルと最低8年の工期でINDクイーンズ・ブールバード線の緩行線にトンネルをつなぐものであった。これにより1時間当たり16,500人の旅客が利用すると推定された。この案は、何もしないということ以外ではもっとも安いものであった。MTAの取締役会は1984年12月14日にこの案を承認した。ロングアイランドシティまでの区間は1985年末までには開通するとされた。 1985年6月までには、このプロジェクトは再び遅れ始めた。 14年間にわたって建設中であり、今年後半には開通することになっていた地下鉄の63丁目トンネルは、深刻な問題を抱えており、期限通りに開通しないと、交通当局の関係者が昨日語った。 関係者によれば、マンハッタンとクイーンズを結ぶトンネルの一部区間は6フィート(約1.8メートル)におよぶ水が溜まっている。他の部分では、桁が錆び電気設備が腐食している。 関係者は、6億ドルをかけた設備がいつ使用開始できるか、修繕にどの程度の費用がかかるかについて、公式には予想を示さなかった。 トンネルの構造上の整合性を査定する業者が2社雇われ、開業の遅延は2年と見積もられた。連邦政府は、「トンネル建設の完全に不適切な管理」を理由として、1985年7月にトンネル建設への3100万ドルの提供を控えることになった。1985年8月に、上院議員のアル・ダマト(英語版)の強い要求により、「建設管理の慣習に関する問題」として、63丁目線とアーチャー・アベニュー線への連邦政府の出資を中断することになった。2件のプロジェクトはほぼ10億ドルがかかっており、このうち連邦政府が63丁目線に5億3000万ドル、アーチャー・アベニュー線に2億9500万ドルを提供していた。
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