日本代表監督就任とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 日本代表監督就任の意味・解説 

日本代表監督就任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 06:48 UTC 版)

長沼健」の記事における「日本代表監督就任」の解説

1962年この頃サッカーはまった人気無く日本代表(当時の名称は全日本)の監督といえばある程度年配者当たり前だったが、同郷当時日本サッカー協会会長だった野津謙大英断下し、まだ現役選手ありながら33歳日本代表監督コーチ岡野俊一郎(32歳))に抜擢される。これは日本サッカー近代化スタートだった。1962年12月9日行われた日本代表スウェーデン選抜戦が、当時まだ30代前半だった長沼監督&岡野俊一郎コーチ・コンビのデビュー戦で、同時に最古サッカー日本代表サポーター組織日本サッカー狂会デビュー戦でもあった。新体制下では、クラマー技術面戦術面でチーム牽引し岡野がそれを補佐。そして人望の厚い長沼選手束ねるという適確役割分担機能し日本代表短期間見違えるような進歩遂げた当時日本代表チームは、東京本拠を置く「丸の内御三家」の東のグループと、東洋工業八幡製鉄広島出身者中心とした西のグループとがあってお互い仲が悪かったが、長沼広島出身で西のグループにも崇拝されていたため和が保たれといわれる長沼日本代表監督として1964年東京オリンピックの対アルゼンチン戦での勝利日本空前のサッカーブームを起こし1968年メキシコオリンピックでも銅メダル獲得偉業達成した長沼岡野二人で代表選手所属チームとの交渉スカウティングマッチメイク広報活動等を行い代表チーム強化サッカー普及尽力したクラマー-長沼-岡野共同作業は、ほぼ何も無い土地に種を蒔き開化させることに等しかったクラマー提案を受け1965年から発足した日本サッカーリーグ(JSL)の創設にも岡野西村章一、重松良典らと尽力長沼はこの時もまだ現役選手だった。クラマー提案は、ドイツ北部・南部西部3リーグ制地域リーグであるレギオナルリーガ想定していたが、新幹線在来線乗り継げば全国リーグ」が出来ると反撥したのは長沼たちであったという。アマスポーツの全国リーグ初めてのケースで、他の競技団体からも大きな注目浴びたアイスホッケーバスケットボールバレーボール全国リーグ翌年から追随したJSL創成期苦労は現在とは比べ物にならない過酷なもので、広島などへの遠隔地への試合では「われわれには夜行列車あります」と社業差し支えると渋る会社交渉週末移動し日曜試合をこなし、夜行帰り月曜の朝、東京駅に着くとそのまま丸の内会社出社し仕事をした。部員には「絶対に寝るな」と釘を刺したという。リーグ始まって社内でも「いくら何でもかわいそうだ」という声が出て月曜午前中休め会社出てきた。それがセミプロ化への流れ作ったではないか、と長沼話している。その後古河は、サッカー部廃部するという時期があったが、長沼存在あったか廃部救えたという。 1966年日本代表連れヨーロッパ遠征中、せっかくだから選手ワールドカップ見せてやろうとドーバーインド人経営する安宿泊まり、ワールドカップイングランド大会自身も初観戦。またドイツ遠征中、アディダス社のアディ・ダスラーアドルフ・ダスラー)に代表選手シューズ作ってもらう。これが現在、麒麟麦酒キリンビール)・キリンビバレッジ両輪日本代表支える有力スポンサー・アディダスと協会との長き亘る付き合い始まりであったまた、長沼後年キリンビールスポンサー獲得実現させている。天皇杯決勝戦元日国立競技場開催になったのは、明治神宮250万人参拝客が来るので、初詣帰り1%でも来てもらえないか、と思案して変更したものという。1969年日本開催されFIFAAFCJFA共催コーチング・スクールでクラマー助手務め、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}世界初FIFAコーチライセンス[要出典]取得1970年野津お供でワールドカップメキシコ大会視察。この時はロイヤルボックス観戦し当時国際サッカー連盟(FIFA)会長スタンリー・ラウスから話が出たというワールドカップ日本招致の話を野津から聞くワールドカップ日本招致野津進言したのは長沼だともいわれるが、長沼反対していたとも言われこの辺経緯不明1960年代から海外遠征時にサッカー協会には内緒試合ギャラ選手還元していたという。1972年日本蹴球協会技術委員長1974年、同理事となり協会法人化財団法人日本サッカー協会に名称変更)にも奔走日本代表監督1976年まで歴代最長11年指揮を執った。この頃代表監督契約でなく、協会組織の中の役職のため無報酬だった。

※この「日本代表監督就任」の解説は、「長沼健」の解説の一部です。
「日本代表監督就任」を含む「長沼健」の記事については、「長沼健」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日本代表監督就任」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日本代表監督就任」の関連用語

日本代表監督就任のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日本代表監督就任のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの長沼健 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS