日本代表監督時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 09:57 UTC 版)
1966年から1971年まで日本代表監督を務めた。早大監督時代から海外列強の理論を導入、さらに寄せ集め的な日本代表チームの編成に異議を唱え、日本代表の強化・セレクションの基礎を作り上げた。日本代表監督時代には学閥やポジションに偏らないチーム編成を行い、オールブラックスジュニア戦での勝利(23-19、1968年)、イングランドXVとの接戦(19-27、1971年・3-6、1971年)を演じた。 オールブラックスジュニア戦のフィフティーン 1968年6月3日 ウエリントン・アスレティックパーク 番号選手名所属1 川崎守央 近鉄 2 後川光夫 リコー 3 猿田武夫 東京三洋 4 堀越慈 ライオン歯磨 5 小笠原博 近鉄 6 井沢義明 早大 7 石田元成 電電東海 8 石塚広治 近鉄 9 大久保吉則 近鉄 10 桂口力 九州電力 11 坂田好弘 近鉄 12 横井章 三菱自工京都 13 尾崎真義 トヨタ自工 14 伊藤忠幸 リコー 15 萬谷勝治 トヨタ自工 ※ 太字はキャプテン ラグビー経験の少ない井沢義明をいきなり代表に抜擢、160cm台の小兵ながらタックルが良くラインアウトのスローイングに長けた石田元成をフランカーとして起用、トリッキーなステップで対面を抜き去るスリークォーターバックス (TB)ウィングの萬谷勝治を「カンペイ」の切り札としてフルバックにコンバート、ナンバー・エイトだった原進をプロップとして抜擢、徹底的に鍛え上げて世界に通用するプロップに育て上げるなど、オールスター選抜・早慶明同に人選が偏重する傾向の強かった日本代表を革新した。
※この「日本代表監督時代」の解説は、「大西鐵之祐」の解説の一部です。
「日本代表監督時代」を含む「大西鐵之祐」の記事については、「大西鐵之祐」の概要を参照ください。
- 日本代表監督時代のページへのリンク