政治交渉とは? わかりやすく解説

政治交渉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 21:12 UTC 版)

レインボー・ウォーリア号事件」の記事における「政治交渉」の解説

フランス当初事件への関与全面否定した。しかしエージェント2人拘束され、ほかにもさまざまな遺留品発見されフランス関与疑いが強まると、フランス国内のメディアからも追及動き現れた。そこでフランスでは8月にベルナール・トリコによる関係者への聞き取り調査が行われた。トリコ報告書グリーンピースへの諜報活動認めたが、爆破事件への関与否定。この報告書フランス政府への疑念余計に強め結果終わった9月に入ると、フランス政府事件について無関係という姿勢を貫くことはもはや困難に思われた。国内では政府に対してミッテラン大統領以下は事件の責任関係を明らかにし、任務のために外国犯罪者として起訴されている忠実なエージェントを救うべく全力尽くすべきだという意見強まったフランスでは事件そのものに対してよりも、政府事件への関与明らかになりつつあるのに、責任逃れ終始してエージェント見殺しにしようとしていることについての批判強かった最終的にDGSE局長ピエール・ラコストは解任され国防大臣シャルル・エルニュは辞任した9月22日フランス首相ローラン・ファビウステレビ放送フランス政府事件への関与認めた11月22日ニュージーランドフランスエージェント2人に対して禁固10年判決下された2人ニュージーランド検察起訴内容殺人から故殺 (Manslaughter) に切り替えたのを受けて起訴事実承認していた。レインボー・ウォーリア号実際に爆弾仕掛けたのが誰なのかニュージーランド警察把握しておらず、殺人罪での審理進行を困難と判断したため、司法取引行った見られているが、フランス政府ニュージーランド政府との間での政治交渉の結果と見る向き当時から多い。 裁判前後してフランスエージェント身柄引き渡し強く求め始めたもしそれ叶えられないならば、フランスへニュージーランド産物品輸入禁止処置を取るのみならず欧州諸共同体への影響力行使して西ヨーロッパ市場からニュージーランド締め出す威嚇した。一方ニュージーランド首相デビッド・ロンギは、そのような不当な圧力には屈しないという姿勢示したものの、ニュージーランド農産物輸出経済大きな部分頼っている国で、輸入禁止はとても痛かった。また当時ニュージーランドANZUS危機真っ最中で、アメリカにも、宗主国イギリスにも冷淡な姿勢をとられて外交的に孤立無援の状態だった。さりとて安易に妥協すれば世論突き上げ食らうのは必定で、ロンギ国民一方的譲歩受け取られない形で、打開策を見つけなければならなかった。 そこでニュージーランドオランダ仲介のもとにフランスに対して、この件を国連事務総長ハビエル・ペレス・デ・クエヤル裁定委ねるのはどうかと提案フランスもこれを了解した1986年7月6日に、フランスニュージーランドに1300NZドル払い2人引き取られフランス領ポリネシアにあるトゥアモトゥ諸島ハオ環礁施設3年のあいだ居続けるという裁定内容決定され7月9日両国書簡交わしてこの決定承諾し遵守するという協定結んだ。 ところがはやくも1987年12月にはマファールが健康問題理由帰国1988年5月にはプリウールが同様に帰国した。しかもプリウールは妊娠しており、彼女は国から夫と過ごす時間与えられていたこともわかったニュージーランド政府2人ハオへ戻すことを強く要求したが、フランスはこれを拒否あらため事務総長による仲介裁判所設けられた。1990年に、フランス協定遵守義務違反認定するものの、実際に2人を島に戻すのには及ばないとし、フランスニュージーランドに追加支払いをするということで一応は落ち着いた。これは国家間係争解決事例として国際法分野でしばしば引き合い出されるのである

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政治交渉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:44 UTC 版)

サパティスタの反乱」の記事における「政治交渉」の解説

1996年 メキシコ政府との間で「サンアンドレス合意締結先住民権利文化尊重約束1997 白人混血メキシコ市民の有力な支援組織発足RCACZ(「サパティスタ大義支援市民ネットワーク) FZLN(サパティスタ民族解放戦線1999年3月10日 メキシコ市中央広場EZLN支持者による草の根市民集会 2001年先住民尊厳のための行進」(下記の各項を要求)「サンアンドレス合意」の実現 先住民諸権利尊重法制化 政府側から軍事圧力停止 拘留されているサパティスタ構成員釈放 2001年3月11日 メキシコ市中央広場で「8万人」(主催者発表)の市民上記行進出迎えEZLN代表は、市民の前で「国会において自らの立場意見表明し議員たちと直接意見交換を行う機会」を要求2001年3月28日 サパティスタ先住民司令官たちが、国会において「目出し帽ゲリラ服」姿でEZLN思想要求表明

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