70年代パンク・ムーブメント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 02:33 UTC 版)
「五月危機」の記事における「70年代パンク・ムーブメント」の解説
五月革命からしばらくのちの1970年代中盤に入ると、アメリカやイギリスのユースカルチャーの世界に「パンク」が登場する。パンクはアナーキズム、左翼、ダダ、ニヒリズムなどの傾向があり、権力に対する挑戦、不満、退屈によるストレスの爆発、DIY精神など、その精神そのものは五月革命と通底するところがある。もっともパンクは音楽であり、国家機能を停止させ、政府と直接的な政治交渉をするほどの集合的な力は生みださず、ある局所的なムーブメントであった。つまりファッションとしてのヴィジュアル面の影響が強く、真似しやすく、記号としての流通が簡単にできた。そのため政治思想としての反映ではなく、パンク・ファッション的が、おおくのデザイナーにインスピレーションを与えることとなった。マルコム・マクラレーンと組んでブティック「SEX」のデザイナーをし、セックス・ピストルズの衣装を手がけた英国のヴィヴィアン・ウエストウッドは億万長者になった後も、保守党のキャメロンに激しい抗議行動をおこなったり、緑の党を支持したりした。 レゲエやヒップホップの流行も起きた。米ソ冷戦構造下で発生したパンク革命は、資本主義社会体制下で実現が難しい、永遠の憧れとしての革命、実現しないユートピアへの憧れの側面が強かった。 パンクはアナーキストになりたい―(I wanna be anarchist(Anarchy in the UK-The Sex Pistols))若者だったが、五月革命の学生や知識人も社会主義に憧れを抱き、叶わぬユートピア実現のために戦ったのである。
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