戦後の発展と形式の変化
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「ポストモダン文学」の記事における「戦後の発展と形式の変化」の解説
ポストモダン文学は同じ時代に書かれた作品についてあまり言及しないにも関わらず、様々な戦後の興隆(不条理演劇、ビート・ジェネレーション、マジックリアリズムなど)は見逃せない類似点をもっている。それらの発展はときおりまとめて《ポストモダン》と言われる。一般的には重要人物(サミュエル・ベケット、ウィリアム・S・バロウズ、ホルヘ・ルイス・ボルヘス、フリオ・コルタサル、ガブリエル・ガルシア=マルケス)がポストモダンへの貢献者だとされている。ジャリによると、アントナン・アルトーやルイージ・ピランデッロらシュルレアリストは、不条理演劇によって演劇界に影響を与えた。不条理演劇は1950年代の演劇の傾向を説明するためにマーティン・エスリンによってつくられた言葉で、アルベール・カミュの不条理性を受け継いだものである。不条理演劇は多くの点でポストモダンに類似している。例えば、ウジェーヌ・イヨネスコ『禿の女歌手』は国語の教科書の台詞の寄せ集めである。もう一人、不条理でありポストモダンであるといわれる作家で最も重要なのが、サミュエル・ベケットである。サミュエル・ベケットの作品はしばしばモダニズムからポストモダンへの転換点であるといわれる。彼はジェイムズ・ジョイスと友人であり、モダニズムに非常に近い存在であり、いずれにせよ、彼の業績はモダニズムからの発展を形作ったのである。モダニズムのお手本ともいうべきジョイスは言語の可能性を追求した。ベケットは1945年、ジョイスから逃れるために、言葉の貧困と落伍者たちに焦点をあてなければならないということに行き着いた。後期の作品ではさらに、演じることだけに徹する不可避的な人間関係の中で、主要人物の魅力を引き出した。ハンス=ペーター・ワーグナーが言ったように、「ほとんど彼は小説の可能性のためにやっていた」(人物のアイデンティティ、明確な意識、言語の持つ力、文学の独自性)ベケットは、小説や演劇において語りや人物の崩壊といった実験的物語が評価され、1969年にノーベル文学賞を受賞した。1969年以後に出版されたベケットの作品は、過去の作品を引き合いにして読解することを必要とするものや、形式やジャンルを脱構築するメタ文学がほとんどである。彼の生前に出版された最後の作品『Stirrings Still』(1988年)は、彼の過去の作品の模倣と繰り返しのモザイクによるテクストで、演劇と文学と詩の壁を破壊した。彼は物語の論理的な一貫性や上品なプロットや通常の時間の流れや心理的な描写が依然として続いていたフィクションの中で、明確にポストモダンの父としての役割を果たしたのだ。《ビート・ジェネレーション》は、1950年代の物質主義的なアメリカに不満を抱く若者のために、ジャック・ケルアックによって名付けられた。ケルアックは、彼が《流麗な散文》と呼んだオートマティスムの発明によって、巨大な叙事詩を作り出し、それはマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の型から影響を受け、『Duluoz Legend』(ドゥルーズ伝)と呼ばれている。《ビート・ジェネレーション》はもっと大雑把に、《ブラック・マウンテン詩》やニューヨーク・スクールやサンフランシスコ・ルネサンスらを総括して呼ばれる。それらの作家は時折《ポストモダン》に分類される。しかしながら今では一般的にそれらの作家は《ポストモダン》と呼ばれないが、影響力は計り知れず、このグループ(ジョン・アッシュベリー、リチャード・ブローティガン、ギルバート・ソレンシオらその他多く)と関係がある多くの作家は度々ポストモダン作家として分類される。ポストモダン作家に分類され、ビートジェネレーションともいわれる最大の作家はウィリアム・S・バロウズである。バロウズは『裸のランチ』を1959年にパリで、1961年にアメリカで出版した。これは最初の真のポストモダン小説だといわれる。断片的で、中心となるストーリーはなく、SFや探偵小説など大衆小説の要素を詰め込んだパスティーシュであり、パロディやパラドクス、言葉遊びなどが満載だったからである。バロウズはまた、ブライオン・ガイシンと共に《カットアップ》の創始者といわれる。この技法(ツァラのダダイストの詩と似ている)は、新聞やその他出版物から単語やフレーズを切り取り、新たなメッセージに置き換える。彼はこの技法を『ノヴァ急報』や『爆発した切符』で実践している。 マジックリアリズムは、ラテンアメリカの作家によって特に有名で(そして彼らのひとつのジャンルだとも考えられる)、神秘的な要素を日常的なものとして扱う技法である(ガブリエル・ガルシア=マルケス『翼を持った老人』における明確な天使の姿に対する現実的な扱いと徹底したさり気なさの例)。この手法は民話がもとになっていて、ラテンアメリカ《ブーム》の中心的な存在になり、ポストモダンへとつながっている。《ブーム》の有名人やマジックリアリズムの専門家(ガブリエル・ガルシア=マルケス、フリオ・コルタサルなど)はよくポストモダン作家だと分類される。しかしながらこの呼び方は問題がないわけでもない。ラテンアメリカのスペイン語話者の間でいうモダニスモやポストモダニスモは、英語圏のモダニズムやポストモダニズムとは直接関係のない20世紀初頭の文学に影響されている。オクタビオ・パスは、ポストモダンは、ラテンアメリカの文化とは相入れない壮大な文学的外来種だと主張した。ベケットとボルヘスに加えて、転換期の人物だとよく言われるのはウラジーミル・ナボコフである。ベケットとボルヘスのように、ナボコフもまたポストモダンが始まるより前に活動を始めた(ロシア語で1926年、英語で1941年)。しかし彼の最も有名な小説『ロリータ』(1955年)は、モダニズム、もしくはポストモダニズムだといわれる。彼の後の作品(とくに『青白い炎』(1962年)や『アーダ』(1969年))はより明確にポストモダン的である。
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