戦後の百里飛行場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 07:50 UTC 版)
「百里原海軍航空隊」の記事における「戦後の百里飛行場」の解説
終戦後、飛行場は引揚者の開拓地に転用され、いったん破壊されることとなった。しかし航空自衛隊は入間基地に代わる戦闘機基地を模索しており、昭和31年に旧百里原飛行場の再開をもくろんだ。百里基地訴訟をはじめ様々な問題を起こしつつも、百里基地は昭和41年に開隊された。以後、首都圏で唯一の戦闘機運用が可能な基地として機能し、例年の航空観閲式は多くの見学客で賑わう一方、基地反対派の活動も活発である。2009年以降の民間機共用開始を目指し、民間航空施設の増設が進行したことから、2010年に民間共用化され 茨城空港(いばらきくうこう)として営業を開始した。
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