戦後の研究開始から渡米まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:18 UTC 版)
「南部陽一郎」の記事における「戦後の研究開始から渡米まで」の解説
1945年終戦後に東京帝国大学の理学部物理学教室(物理学科)に嘱託で復帰し、同室の木庭二郎らと共に、朝永振一郎の研究グループに参加し朝永の方法を吸収しつつ、時々訪れ議論を展開した武谷三男からも影響を受けている。コペンハーゲン学派の自由な研究を持ち込んだ仁科芳雄の下に朝永はいた。 1950年、朝永振一郎の推薦で早川幸男、山口嘉夫、西島和彦、中野董夫と共に大阪市立大学理工学部に理論物理学のグループを立ち上げた。「大阪市大での3年間は年長の教授がおらず、学生が少ないため講義の負担も少なかったため、自由を満喫できた」と後に語っている。ここではベーテ=サルピーター(=南部)方程式の導出、K中間子の対発生の研究などの成果を上げた。
※この「戦後の研究開始から渡米まで」の解説は、「南部陽一郎」の解説の一部です。
「戦後の研究開始から渡米まで」を含む「南部陽一郎」の記事については、「南部陽一郎」の概要を参照ください。
- 戦後の研究開始から渡米までのページへのリンク