中野董夫とは? わかりやすく解説

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中野董夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/16 05:37 UTC 版)

中野 董夫(なかの ただお、1926年6月18日[1] - 2004年8月15日[2])は、日本物理学者大阪市立大学名誉教授大阪市立科学館初代館長。

生前、西島和彦とともに1961年および1970年ノーベル物理学賞の共同受賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している[3]

略歴

東京都出身[2]。1948年大阪大学理学部物理学科卒業。1950年に大阪市立大学理工学部に助手として着任し、教授の南部陽一郎、助教授の早川幸男、講師の山口嘉夫、助手の西島和彦とともに理論物理学のグループを立ち上げた[4]1953年には西島とともに中野・西島・ゲルマンの法則を提唱。

1990年に大阪市立大学を定年退官した後は、大阪市立科学館の初代館長に就任した[5]

中野・西島・ゲルマンの法則の法則を基に、坂田模型や大貫義郎などによるIOO対称性、SU(3)モデル、さらにクォークモデルが創られることになる。

生前、西島とともに1961年および1970年ノーベル物理学賞の共同受賞の候補(1970年は坂田昌一も)に挙がっていたものの、受賞を逸している[6][7]

2004年8月15日午後11時38分、肺炎のため大阪府高槻市の病院で死去[1]。78歳没。

著書

  • 山内恭彦内山竜雄・中野董夫共著『一般相対性および重力の理論』裳華房〈物理学選書 第10〉、1967年。ISBN 4-7853-2310-8 
  • 中野董夫、菅野禮司共著『相対性理論はむずかしくない』講談社、1972年。 
  • 中野董夫『相対性理論』岩波書店〈物理入門コース (9)〉、1984年。 
  • 丸山宰佑、金森順次郎・中野董夫共著『教養の物理』共立出版、1993年。 

脚注

  1. ^ a b 『現代物故者事典2003~2005』(日外アソシエーツ、2006年)p.434
  2. ^ a b 中野董夫氏死去 大阪市立大名誉教授 Archived 2014年8月19日, at the Wayback Machine. 47NEWS(共同通信)、2004年8月16日
  3. ^ Nomination Database
  4. ^ 南部陽一郎の独創性の秘密をさぐる(3) 本格的大仕事まで8年間のトンネルを貫通した南部の精神 現代化学2009年4月号
  5. ^ 中野董夫さんを偲んで 西島和彦、日本物理學會誌 59(10), 723-724, 2004-10-05、一般社団法人日本物理学会
  6. ^ 東京新聞:朝永氏、受賞前に7回「候補」 ノーベル賞選考資料:国際 Archived 2014年8月19日, at the Wayback Machine. 東京新聞、2014年8月14日夕刊
  7. ^ Nobel Prize in Physics 1970 - Nomination archive(ノーベル財団、英語)。推薦者は湯川秀樹である。



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