泡箱の発明と霧箱の衰退(1940年代以降)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/23 14:22 UTC 版)
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1947年、ジョージ・ディクソン・ロチェスターとクリフォード・チャールズ・バトラーは、霧箱写真の中に、今まで見たことのないV型の飛跡を2例観測した。その後、アンダーソンやブルーノ・ロッシらも同様の飛跡を観測した。これらの飛跡については、1953年、西島和彦、中野董夫、マレー・ゲルマンにより、ストレンジネスと呼ばれる量子数を導入することで理論的に説明された(中野・西島・ゲルマンの法則)。 1952年、ドナルド・グレーザーにより、泡箱が発明された。霧箱が気体である蒸気を使用するのに対し、泡箱は液体水素などの液体を使用する。液体は気体のおよそ1000倍の密度があるため、より詳細な観測が行えるようになった。 この泡箱や、原子核乾板などの発達にともなって、霧箱の重要性は薄らぎ、1960年以降は研究目的での使用頻度は低下していった。現在は、科学館などの展示用や、教育用としての需要に限られている。
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