戦後の発展、筆ぺん誕生とは? わかりやすく解説

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戦後の発展、筆ぺん誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:37 UTC 版)

呉竹」の記事における「戦後の発展、筆ぺん誕生」の解説

1956年昭和31年奈良市大宮町に大ホール備えた鉄筋3階建て新社屋完成新製品開発第1弾として半練り状態の墨をチューブ入れた「墨のかおり」を発売する。しかし全国校長先生からひどく叱られ売れなかった。1958年昭和33年)には「墨滴」の名で書道液体墨を業界初め売り出した。煤の比重をあげて浮かすことで沈殿防ぎ書面光らない工夫をしたが、またも叱られ80パーセントもの返品があった。しかし若い先生や塾の先生からはほめられて、これをきっかけ液体墨が主力商品となっていく。 1958年昭和33年10月にはサインペンマーキングペン)を開発、「クレタケドリームペン」の名で発売した。これは良孝のアイデアで、彼はモリソン万年筆工場通って筆記具製造学び東洋紡エクスランアクリル繊維)をに使うことを考えついた。このサインペン飛ぶよう売れ外国からも注文殺到する。これに自信得た呉竹精昇堂は、1965年昭和40年4月筆記具生産専門の別会社としてクレタケ工業株式会社創設し海外との貿易開始した1968年昭和43年)にはクレタケ工業本社ペン工場を奈良市南京終町7丁目492番地移転1971年昭和46年5月からは安弘本社社長に、良孝が本社専務クレタケ工業社長兼務する体制となった。 こうしてサインペン海外輸出製墨と並ぶ経営となっていたが、1971年昭和46年)のドル・ショックによる円の切り上げ日本輸出産業大きな打撃与え呉竹精昇堂も貿易から一時撤退することとなり、それにかわる国内での新し商品開発急務となる。そして墨作り伝統サインペン培った筆記具製造技術を結びつけ、手軽に文字書けペン筆ペン)の開発プロジェクト会社命運賭けることとなった1973年昭和48年11月2年歳月をかけ筆のようなペン先こだわって開発された「くれ竹筆ぺん」は、オイルショック合成樹脂原料調達苦労するが、なんとか10万本を製作し関西圏テスト販売した。画期的なペン評価高くもっと商品欲しいという声が相次ぎ、翌1974年昭和49年)には需要411本と予測し増産体制をとる。夏の暑中見舞い当て込んだ予想反して商品売れず夏の終わりに不良在庫になるかと心配された。しかし、年賀状商戦テレビCM全国展開など販売キャンペーン繰り広げ12月初旬にはほぼ完売。その知名度全国浸透した

※この「戦後の発展、筆ぺん誕生」の解説は、「呉竹」の解説の一部です。
「戦後の発展、筆ぺん誕生」を含む「呉竹」の記事については、「呉竹」の概要を参照ください。

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