ポストモダンへの転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 02:46 UTC 版)
「ポストモダン文学」の記事における「ポストモダンへの転換」の解説
文体に関する時代区分がすべてそうであるように、ポストモダンの興隆と衰退の明確な日付をいうことはできない。しかし大雑把には、アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスと英国の作家ヴァージニア・ウルフが死んだ1941年がポストモダンのスタートラインだといわれることがある。いずれにせよ《ポスト》という接頭辞は、必ずしも新しい時代を意味するわけではない。むしろ第二次世界大戦勃発におけるモダニズムへの反対表明を意味する(人権差別、成立したばかりのジュネーヴ協定、広島と長崎への原爆投下、ホロコースト、ドレスデン爆撃、東京大空襲、そして日系アメリカ人の強制収容など)。そして戦後の重要な出来事への関心でもある。冷戦、アメリカの市民権運動、ポストコロニアリズム(ポストコロニアリズム文学)、そしてパーソナル・コンピュータの始まりなどである(サイバーパンク小説、ハイパーテクスト小説)。ポストモダン文学の出発として議論される最初のものは、注目を集めた重要な出版物や出来事などである。例えばポストモダンの始まりを予感させる最初の出版物は1949年のジョン・ホークス『人食い』、演劇では1953年の『ゴドーを待ちながら』、それから1956年の『吠える』や1959年の『裸のランチ』などである。その他の始まりを示す重要なものに批評理論がある。ジャック・デリダの1966年の講義『構造・記号・遊戯』や少し遅れてアイハブ・ハッサンの1971年の『The Dismemberment of Orpheus(オルフェウスの切断)』の扱いなどである。この転換についてブライアン・マクヘイルは主要論文で詳細に説明している。ポストモダンの仕事はモダニズムから発展し、モダニズムは認識論的な優勢によって特徴付けられ、ポストモダンは存在論の疑問に端を発している。
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