戦争に分断された助監督時代
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「丸林久信」の記事における「戦争に分断された助監督時代」の解説
1917年(大正6年)11月17日、三重県多気郡下御糸村(現在の同県同郡明和町)に生まれる。のちに三重県立松阪高等学校の教諭を務めた丸林勝人(1921年 - 2010年)は実弟。 1937年(昭和12年)3月、早稲田第二高等学院(現在の早稲田大学高等学院)を卒業、同年4月には旧制早稲田大学文学部国文科(現在の早稲田大学文学部日本語日本文学コース)に進学、当時の恩師に河竹繁俊(1889年 - 1967年)がいた。1938年(昭和13年)2月に早稲田大学・日本大学の学生を中心に結成された「劇団衣裳座」に参加している。1940年(昭和15年)3月、同学を卒業した。同学卒業に先立つ同年2月、東宝映画に入社、撮影所演出助手課に配属されている。在学中に河竹の勧めで受けた東宝シナリオ研究生の試験に合格、さらには同社の助監督試験に合格していた。『黒澤明コレクション3』等に記載された大半の丸林の略歴には「卒業後に入社」とあるが、正確な経緯は以上である。同期入社に堀川弘通(1916年 - 2012年)、筧正典(1915年 - 1993年)、田尻繁(1911年 - 1972年)、寺出周助(のちに編集技師に転向)らがいた。 入社から1年も経たない1941年(昭和16年)1月、応召し、騎兵第20連隊(京都)に入営する。同年12月8日に太平洋戦争が開戦、第五三師団中部第39部隊、捜索第53連隊、中部軍管区大阪教育隊を経て、1944年(昭和19年)にはビルマ戦線に派遣された。丸林が当時所属した捜索第53連隊は、翌1945年(昭和20年)1月上旬、イラワジ会戦に投じられ、マンダレーに向かい、ラシオに駐屯したという。丸林は長い軍隊生活のなかですでに伍長に昇進していた。この長かった戦闘体験をもとに『特務諜報工作隊 秘録 雲南の虎と豹』(1971年)、『握り拳の丘 小説・イラワジ525高地』(1986年)といった単著をのちに上梓している。 第二次世界大戦が終結したのは同年8月15日であったが、丸林が復員したのは、終戦後2年が経過した1947年(昭和22年)7月24日であった。同年8月には無事に東宝スタジオに復帰できたが、その復帰の日、撮影所の正門でばったり会った照明技師・西川鶴三が「マルが帰ってきたぞ、丸さんがよう!!」と撮影所中に響かんばかりに怒鳴って知らせてくれたという。入社以来、7年が経過していたが、そのうち6年間を兵役に割かれ、年齢はすでに満30歳を目前にしていたが、助監督経験は1年にも満たなかった。助監督修行をまた始めることになったが、当時、同撮影所ではいわゆる「東宝争議」がすでにくすぶっており、翌1948年(昭和23年)4月16日、同撮影所の社員270人を含む全社914人を解雇、84人の契約者を契約解除し、同年6月1日には生産拠点であるはずの撮影所を閉鎖するに至った。争議期間における丸林の動きは不明であるが、同年10月19日の争議解決以降も同撮影所に所属したことは確かである。 争議解決の翌年、丸林は短篇映画『にしん』を監督した。諸記録にクレジットが出てくる最初の作品は、1950年(昭和25年)5月27日に公開された『大岡政談 将軍は夜踊る』(監督丸根賛太郎)であり、同作では「演出補佐」としてクレジットされているが、これはチーフ助監督に当たる。『せきれいの曲』(1951年)で豊田四郎、『ホープさん サラリーマン虎の巻』(1951年)や『坊っちゃん社員』(1954年)、『土曜日の天使』(1954年)で山本嘉次郎、『夜の終り』(1953年)で谷口千吉、『青色革命』(1953年)で市川崑、『亭主の祭典』(1953年)で渡辺邦男、『生きる』(1952年)と『生きものの記録』(1955年)で黒澤明のそれぞれチーフ助監督を務めた。 とりわけ、『生きものの記録』には監督昇進後ではあったが、黒澤を補佐するために作品に関わった。田実泰良の回想によれば、『生きる』は、『醉いどれ天使』(1948年)を最後に東宝を去った黒澤が争議解決後初めて東宝で手がけた作品であり、ブランクの空いた黒澤の知る助監督が所内におらず、チーフを務めた丸林の面倒見がよく、田実は臨時雇員の身分であったが、同作の助手につくことができたという。村木与四郎の回想によれば、丸林は『生きる』ではB班監督も兼任しており、豊島園でのロケーション撮影を務めたという。『生きる』につづく『七人の侍』(1954年)のチーフを務めたのは、『生きる』でセカンドであった堀川であり、堀川の回想によれば、同期の丸林も筧も直接関係はなかったが、同作の成功で「撮影所内を肩で風を切って歩くように」なったという。
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