戦争に分断された助監督時代とは? わかりやすく解説

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戦争に分断された助監督時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:50 UTC 版)

丸林久信」の記事における「戦争に分断された助監督時代」の解説

1917年大正6年11月17日三重県多気郡下御糸村現在の同県同郡明和町)に生まれる。のちに三重県立松阪高等学校教諭務めた丸林勝人(1921年 - 2010年)は実弟1937年昭和12年3月早稲田第二高等学院現在の早稲田大学高等学院)を卒業同年4月には旧制早稲田大学文学部国文科現在の早稲田大学文学部日本語日本文学コース)に進学当時恩師河竹繁俊1889年 - 1967年)がいた。1938年昭和13年2月早稲田大学日本大学学生中心に結成された「劇団衣裳座」に参加している。1940年昭和15年3月同学卒業した同学卒業先立つ同年2月東宝映画入社撮影所演出助手課に配属されている。在学中河竹勧め受けた東宝シナリオ研究生試験合格さらには同社助監督試験合格していた。『黒澤明コレクション3』等に記載され大半丸林略歴には「卒業後に入社」とあるが、正確な経緯は以上である。同期入社堀川弘通1916年 - 2012年)、筧正典1915年 - 1993年)、田尻繁(1911年 - 1972年)、寺出周助(のちに編集技師転向)らがいた。 入社から1年経たない1941年昭和16年1月応召し騎兵20連隊京都)に入営する同年12月8日太平洋戦争開戦第五三師中部39部隊捜索53連隊中部軍管区大阪教育隊経て1944年昭和19年)にはビルマ戦線派遣された。丸林当時所属した捜索53連隊は、翌1945年昭和20年1月上旬イラワジ会戦投じられマンダレー向かいラシオ駐屯したという。丸林長い軍隊生活のなかですでに伍長昇進していた。この長かった戦闘体験をもとに『特務諜報工作秘録 雲南の虎と豹』(1971年)、『握り拳丘 小説・イラワジ525高地』(1986年)といった単著をのちに上梓している。 第二次世界大戦終結したのは同年8月15日であったが、丸林復員したのは、終戦後2年経過した1947年昭和22年7月24日であった同年8月には無事に東宝スタジオ復帰できたが、その復帰の日、撮影所正門でばった会った照明技師西川鶴三が「マル帰ってきたぞ、丸さんがよう!!」と撮影所中に響かんばかり怒鳴って知らせてくれたという。入社以来7年経過していたが、そのうち6年間を兵役割かれ年齢はすでに満30歳目前にしていたが、助監督経験1年にも満たなかった。助監督修行をまた始めることになったが、当時、同撮影所ではいわゆる東宝争議」がすでにくすぶっており、翌1948年昭和23年4月16日、同撮影所社員270人を含む全社914人を解雇84人の契約者契約解除し、同年6月1日には生産拠点であるはずの撮影所閉鎖する至った争議期間における丸林動き不明であるが、同年10月19日争議解決以降も同撮影所所属したことは確かである。 争議解決翌年丸林短篇映画『にしん』を監督した諸記録クレジット出てくる最初作品は、1950年昭和25年5月27日公開された『大岡政談 将軍は夜踊る』(監督丸根賛太郎)であり、同作では「演出補佐」としてクレジットされているが、これはチーフ助監督に当たる。『せきれいの曲』(1951年)で豊田四郎、『ホープさん サラリーマン虎の巻』(1951年)や『坊っちゃん社員』(1954年)、『土曜日天使』(1954年)で山本嘉次郎、『夜の終り』(1953年)で谷口千吉、『青色革命』(1953年)で市川崑、『亭主祭典』(1953年)で渡辺邦男、『生きる』(1952年)と『生きものの記録』(1955年)で黒澤明それぞれチーフ助監督務めたとりわけ、『生きものの記録』には監督昇進後ではあったが、黒澤補佐するために作品に関わった。田実泰良回想によれば、『生きる』は、『醉いどれ天使』(1948年)を最後に東宝去った黒澤争議解決初め東宝手がけた作品であり、ブランク空いた黒澤の知る助監督所内におらず、チーフ務めた丸林面倒見がよく、田実臨時雇員の身分であったが、同作助手につくことができたという。村木与四郎回想によれば丸林は『生きる』ではB班監督兼任しており、豊島園でのロケーション撮影務めたという。『生きる』につづく『七人の侍』(1954年)のチーフ務めたのは、『生きる』でセカンドであった堀川であり、堀川回想によれば同期丸林も筧も直接関係はなかったが、同作成功で「撮影所内を肩で風を切って歩くように」なったという。

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