思想・評論とは? わかりやすく解説

思想・評論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 23:01 UTC 版)

石橋湛山」の記事における「思想・評論」の解説

明治天皇明治時代記念した明治神宮建設計画に際して東京のどこかに一地を相して明治神宮を建つるなどということは実に愚な極みである。こんなことは、断じて先帝陛下明治天皇)の御意志にもかなったことでないのみならず、また決し永遠に先帝陛下記念しまつる所以でもない真に先帝陛下記念しまつらんと欲すれば、まず何よりも先帝残され事業(注:憲政産業、民の福利)を完成するということ考えねばならぬしかして、もし何らか形に現われ記念物を作らんと欲するならば、「明治賞金」の設定越して適当なものはない。(注:ノーベル賞アルフレッド・ノーベルがその資産世界文明のために賞金として遺したことにより、永遠に世界人心記念された。世界人心新たにし、その平和、文明貢献するために、「明治賞金」こそ先帝陛下御意志と最も合致する。) — 大正元年1912年)『東洋時論第一次大戦参戦ドイツへ開戦)と対支21ケ条要求について 吾輩我が政府当局ならびに国民外交処する態度行動見て憂慮に堪えないものがある。その一は、露骨な領土侵略政策敢行、その二は、軽薄な挙国一致論である。この二者は、世界挙げて我が敵となすものであってその結果は、帝国百年禍根をのこすものといねばならぬ。~英国ドイツ向かって戦を宣するや、我が国民は一斉に起って論じて曰くドイツ青島拠る東洋禍根である。日英同盟の義によってドイツ駆逐すべし、南洋の独領を奪取すべし、帝国版図を拡げ大を成す、この時にありと。当時吾輩はその不可切言したけれども、朝野挙げて吾輩の説に耳を仮すものなく、ついにドイツ開戦の不幸をとなり、幾千人命殺傷した上に、これらの領土維持するために相当大なる陸海軍拡張が必要のみならず、独米の大反感を招けるは勿論、あるいは日英同盟さえ継続し得ぬ破目に陥りはせぬかを危ぶまれる。実に対独開戦最近における我が外交第一着のそして取り返しのつかぬ大失策であってしかしてこれ一に考えざる領土侵略政策と、軽薄な挙国一致論の生産物といわねばならぬ。対支談判は、ドイツ開戦し青島取ったことから糸引いて出た失策ではあるが、その我が帝国にのこす禍根至っては一層重大である。我が要求多く貫徹すればするほど、世人はこれを大成功として祝杯挙げるだろうが、吾輩は全く所見異にして、禍根のいよいよ重大を恐るるものである。~このたび事件で、我が国支那およびドイツの深恨を買えるは勿論、米国にも不快を起こさせたは争え事実である。かつて世界日本の手を以てロシアの頭を叩かせたように、これらの諸国日英同盟破棄手始めに、何国かをして、日本の頭を叩かせ、日本の立場転覆せしむるか、それとも連合して日本獲物奪い返す段取りに行くのではなかろうかその場合は、今回得た物の喪失だけでは到底済まず、一切獲物を元も子もなく、取り上げられるであろう。これ吾輩の対支外交を以て帝国百年禍根をのこすものとして、痛憂おく能わざる所以である。 — 大正四年(1915年)『東洋経済社説 一切棄つるの覚悟 我が国総て禍根は、小欲囚われていることだ。志の小さいことだ。古来無欲説けりと誤解せられた幾多の大思想家も実は決し無欲説いたのではない。彼らはただ大欲説いたのだ。大欲満たすがために、小欲棄てよ教えたのだ。~ もし政府国民に、総て棄てて掛かる覚悟があるならば、必ず我に有利に導きえるに相違ない例えば、満州棄てる山東棄てる、その支那我が国から受けつつありと考えうる一切圧迫棄てる。また朝鮮に、台湾に自由を許す。その結果はどうなるか。英国にせよ、米国にせよ、非常の苦境陥るだろう。何となれば、彼らは日本にのみかくの如き自由主義を採られては、世界におけるその道徳的地位を保つ得ぬに至るからである。そのときには世界小弱国は一斉に我が国向かって信頼の頭を下ぐであろうインドエジプトペルシャハイチその他の列強属領地は、一斉に日本台湾朝鮮に自由を許した如く、我にもまた自由を許せ騒ぎ起つだろう。これ実に我が国地位九地の底より九天の上に昇せ、英米その他をこの反対地位に置くものではないか。 — 大正十年1921年) 『東洋経済社説 中央集権から分権主義元来官僚国民指導するというが如きは、革命時代一時的変態に過ぎない国民一般一人前発達したる後おいては政治必然に国民によって行われるべきであり、役人国民公僕帰るべきである。政治国民自らの手帰するとは、一は最もよくその要求達成しうる政治行い、一は最もよくその政治監督しうる意味にほかならないこのため政治できるだけ地方分権なくてはならぬ。できるだけその地方地方要求応じえるものでなくてはならぬ。現に活社会敏腕をふるいつつある最も優秀の人材自由に行政の中心に立たしめえる制度なくてはならぬ。ここに勢いこれまでの官僚的政治つきもの中央集権画一主義官僚万能主義(特に文官任用令)というが如き制度根本的改革必要にせまらざれるを得ない今や我が国あらゆる方面行き詰まってきた。しかしてこの局面打開して、再び我が国運の進展を図るためには、吾輩これまで繰り返しいえる如くいわゆる第二維新を必要とする。第二維新第一歩は、政治中央集権画一主義官僚主義破壊して徹底せる分権主義採用することである。この主義の下に行政一大改革を行うことである。 — 大正十三年(1924年)『東洋経済社説 経済学者田中秀臣は「石橋湛山小国主義は、政府日本銀行適切な政策運営日本潜在成長サポートしていく、というリフレ政策立場基礎にしていた」と指摘している。田中は「『リフレ経済学』は小国主義的であり、自国政策によって国内経済・社会問題解決し他国政策利用せず不干渉近隣諸国友好をはかる方策と言える」と指摘している。

※この「思想・評論」の解説は、「石橋湛山」の解説の一部です。
「思想・評論」を含む「石橋湛山」の記事については、「石橋湛山」の概要を参照ください。

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