思想的遍歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 08:32 UTC 版)
1927年(昭和2年)岩村はめぐみ幼稚園の第一回の卒業生である。幼少時代に特に目だった思想をもってはおらず、父母の牧師仕事を見ながら自分も牧師になりたいと思っていたくらいであった。小学校5年の時に信仰告白をする。その時、一生の仕事として牧師をすること、その為に必要な教養を身に着けようと考えてた。牧師としての教養ために、話し方、聖書の勉強を極めること。その他、親睦会でのゲームを指導、手品などにも打ち込んでいた。 旧制府立高等学校時代に、ある先輩より勧められ哲学研究会に入会。そこで勧められライブニッツを勉強し始める。さらに、ギリシャ哲学に興味をもつことになる。ギリシア哲学とは、キリスト教神学、ユダヤの思想とギリシャの哲学が総合されてできたものだからである。 当時、東京帝国大学の西洋哲学科の主任教授・出隆はクリスチャンで、その出隆を慕って東大の哲学科に入った。主としてギリシア哲学、それも有神論的なプラトンの哲学を専攻することになる。 東大に入った1941年(昭和16年)12月には太平洋戦争が始まった。1943年(昭和18年)12月1日に学徒出陣で相模原市の通信隊第1連隊に入隊する。 学徒出陣の2年前、「いつまでこんな勉強を続けていられるのかと、切羽詰まったような気持ちで一所懸命に勉強した。論文は、「プラトンの神の概念、それとキリスト教とキリスト教の神とどう違うのか」にねらいを定めて、勉強を始めたのである。 終戦後、復員すると実家の古い教会は空襲で焼失していたが、現在地の池上の2000坪ある土地に移ることができた。 1946年(昭和21年)1月に大森めぐみ教会から招聘されて伝道師に就任。そして、結婚をして家族を持つ。
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