思想的活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 08:30 UTC 版)
1897年「魔界天女」を『やまと琴』に連載。この頃、近衛篤麿を会長として「東洋青年会」を結成していた山県悌三郎と深い交友を持つようになり、フィリピン独立運動家のマリアーノ・ポンセの来日時に東洋青年会を訪問、日本青年会でもホセ・リサールの追悼会を行うなどの活動により、フィリピン独立革命にシンパシーを抱き、独立の志士エミリオ・アギナルドの伝記『あぎなるど』や、運動の挿話『羽ぬけ鳥』なども著した(フィリピン独立革命と日本との関係も参照)。1899年にやまと新聞社に一時在籍。また本郷から王子村に移り、王子義塾を開いた。1901年9月に脳充血で倒れ、以後禁酒する。1903年頃からは主に歴史小説を発表。日清戦争前後から国家主義的傾向を強めており、次第にロシア問題に関心を深め、日本の北進政策を背景に尽忠報国の烈士を描く『女装の探偵』『漁隊の遠征』なども書いた。 1907年から『大辞典』刊行に着手し、村上浪六の支援も受けて1911年に発刊。1909年に本郷区上富士前町に移転、1910年に6月に耳下腺癌腫と診断され、10月24日に死去し、西巣鴨の染井霊園に葬られる。晩年は文壇内で親しい交際も少なく、病と貧しさに悩まされるさびしいもので、病体となってからは石橋思案と丸岡九華が世話をしたという。
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