思想統制と鎖国維持政策
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「大院君政権」の記事における「思想統制と鎖国維持政策」の解説
大院君政権は、思想統制として「邪教」「邪説」を排斥して国家の「正学」である朱子学を保護する衛正斥邪政策を強力に推し進め、新興宗教である東学や西洋からもたらされた天主教(カトリック教会)に激しい弾圧を加えた。 東学は、慶尚北道慶州に生まれた崔済愚が創始した排外的な宗教であり、教義は儒教・仏教・民間信仰などを融合したもので、「東学」という名称には「西学」すなわちキリスト教に対抗する意図がみられる。崔済愚は、やがて理想的な「後天開闢」の時代が訪れるので、人びとは東学の信者となり、真心をこめて呪文を唱え、修養して霊符を飲めば天と人が一体となり、現世において神仙となると説いたが、政府はこれを危険視し、1863年に崔済愚を逮捕し、1864年、大邱において「左道惑正」(異端)の罪で処刑した。その経典はすべて焼却された。 大院君政権は、1866年、天主教に「丙寅教獄」と呼ばれる大弾圧を加えた。南鐘三らをはじめとする8,000名近くのカトリック信者とフランス人神父9名が処刑された。その後も天主教に対する弾圧は長期にわたってつづいた。 1866年7月(朝鮮暦、以下1894年まで同じ)、アメリカ合衆国の商船ジェネラル・シャーマン号が大同江をさかのぼって平壌府に至り、開国通商を求めて発砲におよんだため、平壌の軍民は平安道観察使朴珪寿の指揮下にこれを焼き払って座礁させ、乗組員を全員殺害した(ジェネラル・シャーマン号事件)。同年8月、フランス極東艦隊司令長官ピエール=ギュスターヴ・ローズ(英語版)は3隻の軍艦を江華島付近に侵入させ、そのうち2隻は漢江を遡航して首都漢城をおびやかした。これは、先の大虐殺の際に助命された神父の1人フェリックス=クレール・リデルが朝鮮人天主教徒に助けられて脱獄し、清国に逃亡して天津のフランス租界でローズに助けを求めた結果だった。フランス艦隊は9月、7隻に横浜に駐屯していた海兵隊員を乗船させて江華島沖に再び侵入し、江華府を占領し、神父殺害者の処罰と条約の締結を朝鮮政府に要求した。大院君政権は漢城から部隊を派遣し、射撃を得意とする地方の猟師を動員して砲軍として組織した。10月、朝鮮軍は鼎足山城においてフランス軍に勝利し、フランス艦隊は撤退した。このアメリカ、フランスの侵攻のことを合わせて「丙寅洋擾」と呼称している。 1866年の朝鮮軍によるアメリカ商船奇襲事件(ジェネラル・シャーマン号事件)の全容と商船乗組員の安否確認のため、アメリカ合衆国は1867年、軍艦ワチュセット(USS Wachusett)を派遣し、1868年4月には事件の究明のため軍艦シェナンドア(USS Shenandoah)を派遣した。1871年、清国駐在アメリカ公使のフレドリック・ロー(英語版)は、シャーマン号事件への謝罪と条約締結を求めてアジア艦隊に朝鮮派遣を命じた。同年4月、アメリカのアジア艦隊司令官ジョン・ロジャーズ(英語版)は日本の長崎で艦隊を編成した。同年5月にロジャーズは旗艦コロラド(USS Colorado)、アラスカ(USS Alaska)、パロス(USS Palos)、モノカシー(USS Monocacy)、ベニシア(USS Benicia)の5隻からなる艦隊を率いて江華島に向かった。軍艦にはロー公使も搭乗した。アメリカ軍は江華島に上陸し、3か所の砲台を占領したが、朝鮮側が抗戦態勢を強めて交渉も拒否したため、撤退した。これを「辛未洋擾」と呼んでいる。 このとき興宣大院君は、朝鮮全土八道四郡にこの思想を奨励する「斥和碑」を建立した。この碑には、「洋夷侵犯非戦則和、主和売国(洋夷侵犯す、戦わざるは則ち和なり、和を主するは売国なり)と刻まれている。この碑はまた「斥洋碑」とも呼ばれ、鎖国維持の固い意志を示すものであった。その後、大院君政権は、西洋文明を受け入れた日本も西洋諸国と同一視して(倭洋一体)、通商を求める日本に対しても強硬な姿勢をとった。 大院君政権は丙寅洋擾に際して抗戦体制を構築するため、強固な華夷思想の持ち主で朱子学者の奇正鎮と李恒老の2人を参判クラスの高官に抜擢することを決めた。奇正鎮と李恒老は、官職を辞する上疏を呈して、「洋夷」排撃の主戦論、天主教禁圧論、西洋物貨禁止論を唱える一方、土木工事の中止などを求めた。これを機に、奇正鎮と李恒老を筆頭にして、その門人たちなどから成る在地両班層のあいだに、欧米諸国を「夷狄」として全面的に排斥し、朱子学原理にもとづく旧来の支配体制を堅持しようとし、一面では大院君の施政にも批判的な独自の政治理論(衛正斥邪)も形成された。
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