崔済愚とは? わかりやすく解説

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さいせいぐ 【崔済愚】

朝鮮李朝末の宗教家東学創始者。号は水雲斎。慶尚北道慶州の人。幼時両親死別木綿行商全国歩きながら求道天の啓示受けたとして東学を創教した。だが李朝から拡大恐れられ死刑。(一八二四~六四)→ 東学

崔済愚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/06 08:27 UTC 版)

崔済愚
各種表記
ハングル 최제우
漢字 崔済愚
発音: チェ・ジェウ
日本語読み: さい せいぐ
英語表記: Choe Je-u
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崔 済愚(チェ・ジェウ、さい せいぐ、최제우1824年12月18日(旧暦10月28日) - 1864年4月15日(旧暦3月10日))は、李氏朝鮮(李朝)後期の宗教家。民族主義的な新宗教東学を創始した。『竜潭遺詞』、『東経大全』などを著した。は水雲(スウン、すいうん)。

生涯

1824年、慶尚北道慶州の両班の家系に生まれた。本貫は慶州崔氏[1]。6歳で母を亡くし、16歳で父を亡くす。その後20年近く全国を放浪し求道の旅を続け、1855年に蔚山の内院庵で本格的な修行を開始し、1860年に慶州の竜潭亭で天啓を受け、儒教仏教・民間信仰などを融合した東学を創始した[2]。東学という名称には、西学(キリスト教)への対抗がみられた[2]。かれは、やがて(先天開闢に対する)理想的な「後天開闢」の時代がやってくるので、人びとは東学の信者となり、熱心に呪文(至気今至、願為大降、侍天主造化定、永世不忘万事知)を唱えて修養に励み、霊符を飲むことで天と人が一体となり、地上天国が実現することを説いたが、これが当時の厳格な身分制社会、李朝の統治理念である儒学朱子学)思想を動揺させる恐れがあったため、1863年に政府によって捕らえられ、翌年に「邪道亂正」の罪で処刑された[2][注釈 1]

脚注

注釈

  1. ^ 崔済愚処刑後の東学は崔時亨によってその教団が指導された。

出典

参考文献

関連項目



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