宮殿の造営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 07:22 UTC 版)
前年より乱を起こしていた薄句大は険阻な地に拠って未だに抵抗を続けていた。その為、石虎は章武王石斌に精鋭騎兵2万と秦州・雍州の兵を与えて薄句大討伐を命じた。石斌は薄句大を破ると、これを平定した。 石虎は長楽・衛国を巡察すると、開墾されていない田畑や桑業が修まっていない所があったので、守宰を罷免してから帰還した。 12月、代国において政変が起こり、諸部族が反旗を翻して代王拓跋翳槐を放逐し、代わって拓跋紇那(先代の王であり、拓跋翳槐に追放されていた)を迎え入れた。その為、拓跋翳槐は鄴へ逃亡し、後趙の庇護下に入った。石虎は彼を厚く遇し、邸宅・妾・召使・宝物を奉じた。 336年11月、索頭郁鞠は衆3万を率いて後趙に降伏した。石虎は郁鞠の首領ら13人を親趙王に封じ、その部衆を冀州・青州を始めとした6州に分けた。 同月、石虎は襄国において太武殿の建造を、鄴において東宮・西宮の建造を開始し、12月にはいずれも完成した。太武殿の基は高さ2丈8尺、南北65歩、東西75歩であり、文石をもって石畳とした。また、穴を掘って伏室を作ると、衛士500人を配した。漆灌瓦・金璫・銀楹・珠簾・玉壁には究極の技巧を為し、殿上には白玉床・流蘇帳を施し、帳頂の冠を金蓮華とした。また、顕陽殿の後ろに霊風台9殿を建て、士民の女を選抜して殿を満たした。彼女らの服もまた珠玉であり、1万人余りが絹織物を羽織り、珍奇を愛でた。 殿内には女官18等を置き、宮人には占星術や弓馬の術を教育した。また、女太史を霊台に置いて星祥について仰観させ、雜伎の工巧は殿外にいる太史の実態と同じにした。さらに女騎兵千人を列し、みな紫の綸巾を身に着け、錦の褲・金銀を散りばめた帯・五文に織成した靴を着こなし、羽儀を執り、鼓吹を鳴らし、遊宴の際には随行させた。 民間で星讖について学ぶ事を禁じ、それでも学んだ者はみな死刑とした。直蕩(宿衛の側近兵)を龍騰とその名を改め、絳幘(紅色の頭巾)を冠とした。 当時、兵役が途切れる事無く続いたため、軍隊は休む暇が無かった。加えて日照り続きであったため、穀物が暴騰していた。金1斤で米2斗しか買えなくなり、百姓は嗷然とし、生計を立てる事もままならなくなっていった。 この年、石虎は牙門将張弥を洛陽へ派遣し、洛陽に置かれていた鐘虡・九龍・翁仲・銅駝・飛廉を鄴に移送するよう命じた。張弥は四輪の纏輞車にこれらを乗せて運んだ。纏輞車の轍の広さは4尺、深さは2尺であった。だが、運んでいる途上に1つの鐘が河に没してしまったので、300人を河に潜らせ、竹縄を括り付けてその縄を鹿櫨に回し、牛100頭にこれを引かせてようやく引き上げた。その後、1万斛の舟を建造して河を渡り、遂に鄴に到着した。石虎は大いに喜び、2年の刑罰を赦免し、百官には穀物や布絹を下賜し、民にも爵1級を下賜した。また、下書して「三載して績を考え、幽明を黜陟するのは(功績に合わせて人を評価し、それに即して登用する事)、先王の令典に則るものであり、政道の通塞である。魏は初め九品の制を建て、三年に一度これを清定した。未だその美は広がっていないが、縉紳(高官の者)は清く律され、人倫は鏡のように明るくなった。これ以来、改められる事無く用いられていた。先帝が天下を創臨すると、黄紙が再び定められた。選挙に至っては、銓を首格とした。自ずと清定される事はなくなり、三載して今に至る。そこで、主者は銓についてさらに論じ、揚清激濁(悪を除いて善を勧める事)に務め、九流(儒家・道家・陰陽家・法家・名家・墨家・縦横家・雑家・農家)を全て公平としよう。吏部の選挙については、晋氏の九班選制に拠るものとし、これを永らく揆法(大臣の法)とすべきである。選が終われば、中書・門下を経て三省に宣示し、然る後に実行する事とする。命によりこれを詔書に著すものとする。銓衡の命を奉らない者は、御史が弾劾して捕らえ、上奏するように」と命じた。 また、石虎は尚方令解飛の勧めにより、鄴の南で河に石を投じて飛橋の造成を始めた。しかし、数千億万の工費を掛けたにもかかわらず橋はなかなか完成せず、先からの食糧不足のために役夫の飢えが甚だしくなったため、結局工事は中止された。 また、令長に命じて若者を率いて山沢に分け入らせ、橡や魚を採って食糧を補充し、老弱な者を救済させようとした。だが、これらの物資は貴人や豪族に収奪されてしまい、民が得るものは無かった。また、富裕層の家に穀物を供出させ、それを飢えている人に配給を行い、公卿以下にも穀物を供出させてこれを援助をさせたが、奸吏の横領が止むことはなかった。これらは貸贍(無利子の貸借)という名目ではあったものの、実態としては全く機能していなかったという。
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