客車・ガソリンカーとは? わかりやすく解説

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客車・ガソリンカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/02 08:57 UTC 版)

朝倉軌道」の記事における「客車・ガソリンカー」の解説

開業当初ボギー客車7両が存在した以後営業規模の拡大と共に両数増え続け1928年には23両まで増加している。 その後1933年7月1日になって客車8両を単端式ガソリンカー改造する申請なされた日本において、私鉄客車気動車改造した例は同時期(1930年代前半)の神中鉄道頸城鉄道などでも見られたが、それらは前後容易な両運転台構造導入していた。従って一方向進行基本単端式気動車新規導入することは既に時代錯誤であったが、敢えて導入改造簡易さが理由考えられる。 ここで提出され仕様書によればガソリンカーフォードA型エンジン使用し定員40人、寸法長さ8,540mm×幅1,680mm×高さ2,090mmというスペックであったが、残されている車両写真には設計図同型のものはなく、図面通り車両本当に作られていたのかすら、不明である。 しかも、この申請当局認可されなかった。規定様式書かれていない設計書図面食い違っている、設計そのもの問題点がある(ブレーキ手ブレーキ一軸制動という、ブレーキ力が著しく弱いものであるなど)など、朝倉軌道書類問題点多かったためであるが、中でも最大問題であったのは、認可されている車両最大幅が1,676mmであったにもかかわらず設計図車両幅は1,830mmであったことである。 軌道車両最大幅は、元々、敷設する道路朝倉軌道場合県道)の幅を基にして設定されていた。都道府県道管理するのは都道府県当局であり、そして、朝倉軌道当局認可申請行なうにあたっては、県(福岡県庁)を経由していた。県がここで車両最大幅問題に目をつぶったとすれば、道が拡幅されていない(=認められる車両幅が大きくなっているはずがないということ分かっていながらこれを通したということになり、県当局自身責任問題になってしまう。これでは認可される筈はない。 そもそも新造ではなく既存客車改造であるということは最大幅が1,830mmとなる客車以前から存在していたということになる。この理由については、認可最大幅朝倉軌道本線より大きかった中央軌道両筑軌道使われていた(そして、それら路線で使うことはできても本線で使うことは許されていなかった)車両が、本線使用される車両混ざったではないか推測されている。 なお、このような車両朝倉軌道申請した理由について湯口徹は、仕様書に「建具材ハ総て材ヲ用ヒ」(建築材はすべてケヤキ材を用い、)「優美仕上ヲナス」(優美に仕上げること)など「設計審査に関係のないことばかり延々と列挙」してあることや、実態がどうであれ書類上は「1,676mm」と書いておけば認可通ったはずなのにそれをしていないことから、「朝倉軌道車両担当者話にならない頭の悪さ要領悪さそのくせ無知横着、強情」から、「当局認可できない理由がまったく理解できなかったのではないか」と推測している。 しかし、認可下りないことは朝倉軌道にとってさしたる問題ではなかった。そもそも申請以前ガソリンカー2両が試作改造済みであった推測されている会社であり、認可に関係なく客車ガソリンカーへの改造次々と行なわれていった申請では8両すべてが同形ということになっているが、残っている写真では1両ごとに形態車幅・窓の数など異なっており、実際あり合わせ雑多な客車元に手当たり次第改造が行なわれたものと考えられている。これらの車両については、正式な設計図などが存在していないが故に詳細について判明していない部分も多いが、残され写真などから、片ボギーの単端式で、駆動部分はこれ以上ないほど簡易なものであったとみられている。後輪ボギーの単端式という形態は、日本はおろか世界的にも珍しい(アメリカ零細メーカーであるワトソン・モーター社が製造した例がある程度)ものであったこのように法定許認可制度を全く気にしない朝倉軌道対し当局は度々書類督促行なったが、返信がなかなか来なかったり、来たはいいが文面必要事項が全く抜けていたりで、状況はほとんど進展しなかった。一方で朝倉軌道現場では、一旦ガソリンカー改造したものの再び客車戻された(初期試作の2両など)ものや、代用燃料である木炭ガス発生炉を無認可取り付けたものなども登場し公文書上の記録実態乖離してゆくばかりであった当局相手に、ここまで杜撰さ貫き通した鉄軌道会社は、日本でも希な存在であろう結局当局は、1923年以前からの車両については「調査資料不詳ニツキ会社届出ヲ正ト認メテ処理セリ」(調査資料不詳のため会社届け出正しいことと認めて処理する)とし、詳細な調査諦め1938年1月11日ガソリンカー認可した申請から経過した時間4年半であり、これは日本の鉄道における最長記録である。しかも、認可こそされたが車両幅が1,830mmである問題未だに解決しておらず、「頼むから1,680mmの図を提出して一件落着にしてくれ、の悲鳴が行間からにじみでているようだ。こんな会社との交渉はもうこりごり本音であろう」と湯口徹が評する照会文書送られている。この問題は、同年9月3日に「1,830mm」が誤記であった朝倉軌道返答したことによってようやく決着したこのような経緯経て1938年6月28日になって当局はようやく朝倉軌道車両把握する。ただし、これも完全に正確なものではなく、特に車両番号に関しては、存在しないはずの番号記されガソリンカー写真残っており、書類には記すのが楽な番号書いていただけではないのかとも推測されている。 なお、ガソリンカー導入にあたっては、二日市駅など3駅に転車台敷設認可申請1933年7月13日が行なわれたが、この際申請書記されていた構内配線図問題となっている。実は二日市杷木において構内配線当局無許可変更されていた(時期不明)のだが、現実構内配線図申請書記してしまっていたために、これが当局露見したのである当局に「二日市杷木駅構内平面図ハ既提出図面相違配線構造物変更セルモノナラバ相当変更手続ヲナスコト」(二日市及び杷木駅構内平面図は既に提出され図面異な配線また構造変更するなら、変更の手続きをすること)と照会された朝倉軌道は、これを21か月わたって無視したあげく、最終的に転車台認可申請取り下げることで追及かわした。 ただし、転車台実際に敷設されており(無許可改造車両載せて使用している様子写した写真残っている)、つまり無許可設置使用していたことになる。ここでも朝倉軌道杜撰さ遺憾なく発揮されていた。

※この「客車・ガソリンカー」の解説は、「朝倉軌道」の解説の一部です。
「客車・ガソリンカー」を含む「朝倉軌道」の記事については、「朝倉軌道」の概要を参照ください。

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