客車の鋼体化と軽量客車とは? わかりやすく解説

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客車の鋼体化と軽量客車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 15:22 UTC 版)

日本の鉄道史」の記事における「客車の鋼体化と軽量客車」の解説

明治大正期客車は、鋼製台枠の上木造車体載せた構造であった。即ち車両として必要な強度車両の床に相当する台枠受け持っており、壁や屋根木造家屋並みのもの。この構造は安全上から見ると脱線転覆した場合木造車体バラバラ壊れるため、乗客被害大きくなる問題があった。 壁や屋根まで鋼製にした客車1927年頃から少しずつ生産されたが、古い木造客車戦後大量に残存していた。1947年2月25日起こった八高線列車脱線転覆事故ブレーキ故障原因といわれている事故だが、土手から転落した木造客車バラバラ壊れた結果死者184名という大事故になった事態重視したGHQ指示により、木造客車の鋼体化が進められ1957年までに完了した台枠のみに強度持たせたままでの鋼体化は重量嵩むのが問題となる。そこで重量対策として1953年頃から電車ディーゼルカーを含むすべての旅客車について、壁や屋根外板にも強度を受け持たせその分台枠軽量化する「セミモノコック構造取り入れられ、軽い車体製造できるようになった1955年製造され10系座席車台車軽量化行われ軽量客車呼ばれた1958年登場した20系客車東京九州を結ぶ寝台特急あさかぜ」用として作られ車両で、乗り心地改良のため台車空気ばね採用し冷暖房完備して快適性向上させる同時に騒音入り口となる窓を固定化して静粛性改善した20系運行中編成分割・併合考慮しない固定編成であり、空調食堂車で使う電気量増大した対策としてディーゼル発電機装備した電源車連結した。この車両当時寝台車水準超えた装備から「走るホテル」と呼ばれたり、車体側面青色塗られたことからブルートレイン呼ばれて人気博したそれまで客車乗降扉は走行中も手動開閉できたが、20系には走行中に乗降扉をロックする機構装備された。これは、1956年盲目音楽家宮城道雄刈谷駅付近走行中の客車から転落死した事件鑑み客車安全性向上図ったものといわれている。また20系より後に生産され客車乗降扉は、電車同様に自動化された(電車戦前から自動扉備えていた)。

※この「客車の鋼体化と軽量客車」の解説は、「日本の鉄道史」の解説の一部です。
「客車の鋼体化と軽量客車」を含む「日本の鉄道史」の記事については、「日本の鉄道史」の概要を参照ください。

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